相場の動きが、恣意的になってきてないか?
最近の株価や為替などの相場の動きは、とても動きが意図的で恣意的になっていないかと、感じるようになった。
とうぜん、米大統領のネットメディアを大胆に利用した自己主張風のコメントで、明らかにアメリカ合衆国よりの相場の動きを見せるせいもあるかもしれないが、
このメディア情報操作と軍事的諜報操作の両輪が、うまく機能しているせいだろう。
とうぜんといえば当然で、資本主義社会の元祖であるアメリカ合衆国は、国であって国ではない、会社的機能の方が優先される独特の国家という歴史的背景があるので、
その老舗が有利に立つのは至極当然でなければならないが、この事実をあまり公に認識されると、動きにくくなることもあって今までおとなしめであったのが、企業経営者であった現大統領となってからは、アメリカ合衆国はまさに、
ザ・カンパニー理想国家
として、水を得た魚のように生き生きしているように見える。
大統領が企業経営者出身なら、憚らず堂々と本来の性癖をあらわにできるということ。
アメリカ合衆国は、欧州から渡航してきた企業家たちが思い存分稼げる仕組みを構築するためにつくった国家であり、彼らにとって絶対的な優位性を担保することが大前提でつくられた、人工国家であることを理解すれば、今の大統領がやりたい放題なのは、むしろ彼らの意図と合致している点で、とても合点がいく事実となる。
逆にいえば、今までがその趣旨に対しては、
だったとも見れるんだ、ということに注意したい。
こうした、あらゆる角度で事象を見比べるのは、決して無駄ではなく、むしろ新しい発想点を探す上で不可欠となる。
昭和に起こった大事件
マスコミは、自分たちの行き過ぎを隠し、真実の追求を二の次にして感情的に彼女を有罪にしようとしたのは、この記事のように同意できる。
警視庁は、民衆の鎮圧が目的あって、真の犯人・原因を追求するべくリスクを追うようなことはしない。波風さえ立たなければジ・エンドである。
私達民衆は、身の回りの驚異には、特にこのようなどこでも起きうる事件は、正しく解決しなければならない。
群衆心理で民衆も被告を悪者に決めつけるような感情を持っていたし、行動する者も少なくなかった。
正直筆者も彼女が犯人だと決めつけていた。
近所の人たちとは別の、第三者の私達は、マスコミ情報だけで善悪を判断してしまうが、オウム真理教の一件でもその真実や背景は、主犯が処刑され明るみにされるに至らなかったわけで、冤罪でなくとも真相が闇に葬られること自体が、私達にとってどれだけ問題解決の機会損失になっているだろう。
「平成の大犯罪」和歌山カレー事件20年目の真実―林眞須美は真犯人だったのか? | ダ・ヴィンチニュース
噂の噂
という表現があるが、人は、公平を期したいがために得てして半信半疑の情報でさえ盲信し、伝播するように一方的な結論に走ってしまう。
これは、人園である以上誰もが自分の身を守る利己的遺伝子を発動するので、根絶できない性癖と言えるが、判断する時点で一方的な情報を一旦遮断して、無の状態で自分の意見に耳を傾けるべきではないだろうか。
事件当事者なら切羽詰まっているので難しいだろうが、第三者はある程度客観性は確保できる、あとは悪意のある第三者からのささやきを冷静に判断するだけでいい。
この事件も、今更蒸し返しても真相の再確認をするには遅いのかもしれないが、一見虫も殺さないような人物が、凶悪犯罪をやってのける現実がある以上、天災の避難訓練のように、常日頃の関心、少なくとも自分の家から向こうさんげん両隣くらいは、関心を持っておかないと、災難は避けられないだろうと思う。
というか、田舎出身のくろまにとって近所づきあいが、どれほど有益で価値のあるもので、人の心を豊かにしてくれるものは無いと思っているし、助け合いはふつうにされていたのに、それは過去の遺物と化しつつあるのか。
都会での生活は人が増えた分、助けるひとより足を引っ張る人のほうが相対的に多くなっていくのだろうと想像できるが、たとえ田舎・郊外の住宅地でも都会の人間関係を引き摺っているせいで、人間関係が都会型の薄っぺらいものになっているのだろう。
日本では住宅環境が、木造で家の壁が薄くプライバシーが保たれにくかったので、必然的に両隣・近所の生活感を共有してきた経緯が本来あったのに、西洋建築の普及で不可欠だった隣の音がきこえなくなったのは、ある意味で幼子が子守唄を断たれて不安に陥った状態の、ストレスがますます疑心暗鬼に追い込まれる悪循環になっていると、言えなくない。
せめて、近所の人と朝すれ違ったときくらいは、挨拶する習慣は続けたいものだが。
電池が足りない! 自動車業界の大きなハードル
日本にとって、車を優先するか公共機関の安定を図るか、今後生長の鈍化する日本の成長戦略は、ますます効率化とシビアさを増していくでしょうが、その主産業の一つであろう自動車にとって、必要不可欠ななっていくであろう電池の生産が追いつかないことは、すでに問題になっています。
その課題を解決できないまま、日本だけでなく世界戦略上でも悩ましい問題ですが、技術的には燃料電池に変わる個体素材をつかった「個体電池」がようやく高い技術的なハードルをクリアできて、いよいよ実用段階への目処が立ってきていますよね。
ただ、まだまだメーカーが採用するには沢山のハードルが待ち構えている中で、各メーカーも焦っているようです。
日本は手先の器用さと工夫や改善を怠らない実直さで、ここまでのし上がってきましたので、人材育成を怠らなければなんとか成長し続けていけると信じてますが。
今がバブルという認識
今バブルだって認識ある人どのくらいいるだろうか?
今の株価は1988~89年のバブルに近い (島影 真奈美) | プレジデントオンライン
そもそもバブルの成長時代から弾けるまでの経緯をありのままな体験した人々はあまりいないのではないか?
現にそのど真ん中を成人として過ごした筆者でも、ピンとこなかったのである。
当時経営者か会社の役員でなければその恩恵は実感できないだろうし、恩恵もなくただ指を加えて、その根拠のない勢いに流されていた人でも「はしか」かブームが通り過ぎたくらいの認識しかなく「バブル」というキーワードが一人歩きしだしている。
経済学的に見れば、株価や為替(円)の高騰と見られるこの現象は、最近また話題に上がっているものの、たとえその状況になっても当時のように末端まで恩恵がおり下がってくることは、まず無いだろう。
それより恐ろしいのは、「予想外の変化」「危機感」というイメージだけが資本の流れに利用され、金の流れや経済状況は順調で、実際それほど緊急でも無いのに関連したキーワードが、例えばト●ンプ氏などから発せられた途端、株価・為替が乱高下するキッカケに利用されることだ。
こうした相場は、実経済が正常であるのを好まない傾向がある。
上がったり下がったりしないと利ざやで儲けている仕手筋は儲からないからだ。
彼らは、バブルというネタを匂わすことで、相場を動かすキッカケにりようするテクニックを持っていると言えるだろう。
投資家にとって企業価値はつまるところ株価で判断され、企業努力の成果は彼らが努力しているほど評価されていないのも現実であって、企業の本質を見抜くよりも情報操作をした方が、たやすく相場を変えられることを知っている。
私は、すでに一般に流通するようなファンダメンタル情報は相場の上下に影響しにくくなっていると疑っているが、もちろん企業にとってその実績をプールした重要な成績結果が無駄たと言っているわけでは無い。
相場のABCを学ぶのにファンダメンタル情報は避けて通れないし、上の手段を持たない末端の投資家は手抜きは決して許されないが、必要以上にのめり込むと相場の本質に気づかず、仕手相場に踊らされるケースが増えるのではないだろうか。
ノイズにさえなりかねない判断情報は、聞き耳たてる時間だけチャンスを逃す機会損失であり、同じリスクを背負うのであれば、自分の目で確かめたテクニカルだけでも結果は出せると思っている。
本当にバブルの恐ろしさを体験した人々は、とっくに消えているか逆に大成功し仕掛けるがわに回っていて、その真実はもう伝説としてしか届かなくなっている。
それでも我々は、特殊な経済状況になったらその中を生き抜いて行かねばならない。
バブル時代を生きる実感が無くいつもと変わらない生活の中で、じわじわと変化するその実にとなる大きな変化を掴み取っているかどうかは、結果が出た後でなければ誰にも語れない。
過去のバブルば所詮昔あったことであり、これから起こる何かは将来全く別物として語られるものかもしれないのだ。
それを精査するのは、今。
まさに刻々と変化している今こそ、そのヒントが潜んでいてそれをどれだけのがさなかったかが、歴史が終わった後で我々の立場を左右する大きな差を生む。
陰謀を見抜くのも楽じゃない時代
ネット草創期には「warez」と呼んでいたダークウェブの世界では、国家最高機密の文書が売られているという時代にまでなった。
ある一握りの人物でないと謀れないはずの陰謀によって進められる計画自体、実際に存在するかは別として、こうした地下ネットワークの進化によって、白日の基にさらされ、ガチにお金さえ出せば手に入る時代を迎えたのかもしれない。
マネーゲームと言う陰謀は人が存在する限り引き継がれて行くけど、
情報に関して飛び交う陰謀情報は、今後どのような未来があるのだろう。
人が存在する限り、陰謀は無くならない。
人が必要無くなる未来こそ、陰謀の終焉となるようだ。
そこには、ネットワークだけが存在する無機質な情報だけが生きる世界が、垣間見える。
ダークウェブでは軍事ドローンの機密文書が2万円、空港システムへのアクセス権が1000円で売られている - GIGAZINE
現代は、ひと昔前というか10年単位くらいでメディアの進歩が甚だしく、メディア情報の平等性がなくなっていう上で、オーナー嗜好に有利な情報は強調し、不利な情報は弱められるか最悪無視されるのに、私たちは慣らされているのはとても恐ろしい傾向で、たとえ謀(はかりごと)が起こっても正しく伝えられなかったりが、日常茶飯事となっているのは、残念な話。
私たちの認識のなかで、少しづつ民衆に不利益なことと優利益なことの差が、少しずつ小さくされていて、本当に重要な情報と避けなければならない警告の、判断がしづらくなっている時代に、その選別はもうどうでもいいことだと徐々に匙を投げかかっている。
時々、私たちは楽しければいいや、と思い込みすぎているのを、振り返って自身の麻痺の度合いを確かめなければならなくなっているのではないだろうか。
日本とインド。市場を切り開くこと
縮小する国内自動車市場に一石
かつて日産が「Cube」で提唱し、スズキがカテゴライズに成功したマーケットを、トヨタが広げていく、日本の新しい車の価値観。
クルマ離れする今の世代に、市場の袋小路で増える軽よりも安全で、狭い日本の地理事情にも合っているホットなジャンルだけに、広まる期待は大きい。
大国が言い寄る「パートナー」という言葉に気を付けろ
インドー日本首脳会談の日でもあった「11月11日」ですが、インド市場の可能性に先見の明があった、自動車業界の台風の目スズキ自動車、いまやインドの同業企業「タタ」ともタメを張る一頭企業となっており、自動車先進国としての一矢を報いています。
そのほかにも、鉄道インフラや原子力技術の技術提供はトピックですが、日本は大国とのお付き合いベタと言わざるを得ません。
インドを巡る「虚」と「実」の違和感を、日本はどうとらえるべきか?
一モツあるインド現首相の「目標達成」には、アメリカがそうしてきたように、日本がパートナーではなく、単にパトロンでしかない悪夢の「同じ轍」を踏まない、繰り返しにならないよう大国の真意を裏読みしていく能力が不可欠です。
成長・人口規模において、日本が既に経済的優位性を持たなくなるのは、周知の事実であることは、多くの大国が見切っていること。
アメリカー中国……これからはロシア、インドが日本を踏み台にしてかつて日本が席券したかに見える、アジア市場を踏襲していくと思えるほど、その勢いは大きい。
小国扱いされるのはこれからも変わりませんから、これから日本が賢く立ち回るには、モハメドアリのように「蝶のように舞い、蜂のように刺す」フットワークとスタミナを確保していきたいもの。
DAIHATSUのTANTO、FC後のアドバンテージは?
今年秋にFC(フルモデルチェンジ)を控えると報じられるDAIHATSU車の看板車であるTANTOは、同社お約束の後出しジャンケンで、同ジャンルで最後発での登場となるそうだが、はたして勝算がどの程度稼げるのかを考える。
ダイハツ新型「タント」軽量プラットフォーム採用2018年10月フルモデルチェンジ
SUZUKIは春にHONDAは夏にそれぞれボンネットバン+スライドドアの軽自動車を販売している今、DAIHATSUとしては満を持しての秋投入とことを運ぶことになるが、そもそも制限の多い軽自動車規格の車で、後出しと言えど圧倒的なアドバンテージを持って新型デビューできるとは考えにくいと言うこと。
所詮は軽自動車と言えども、各メーカーが予想外の売れ行きで、大量のバックオーダーを抱えるほどの市場となっているだけに、DAIHATSUのプレッシャーも大きいことと思う。
TANTOは同社の看板的ヒット車で、売れ行きも底堅く高い車なので、最悪キープコンセプトでも、大きく売り上げを下げることは無いとも言えるが、そもそも自動車市場自体冷え込む中で、親会社の売る普通車売り上げに気を使いつつ、売り上げは底上げしなければならず、立場上舵取りは難しいのが現状。
スクープ情報では、くろまが期待した前後スライドドアは無いようなので、あとは燃費向上か細かい使い勝手向上で、勝つのではなく「負けない車」を出してくる可能性がほぼ確定している。
あとは、DAIHATSUお得意の「キラキラ☆デザイン」で、どれだけ見た目上のお得感が出せるかが見ものかな、と言ったところ。
他社よりも、きっと高級感を打ち出すデザイントレンドに振って来るだろうが、当然単価も上げて来るのはお約束で、これからの時代に軽自動車に、どこまで高価格な価値を客見出すのかギモンなだけに、販売方針そのもに時代に乗り遅れた感が否めない。
いずれにせよ、次のTANTOはDAIHATSUの社風や取り組み方をも、判断させる重要なタイミングで発売される車で、追って出るだろうMOVEもTANTOのトレンドフォローされるのは確実なだけに、DAIHATSUは今年の秋に社運をかける事になるはずだ。
その結果で同社の評価はほぼ決まると言っていい。
そのくらい自動車(特に国内)業界の市場性は逼迫しているので、くろまとしてはTANTO単体の動向と言うよりも、昨今のDAIHATSUが踏んできた手形さ重視の販売方式が、時代に受け入れられるかどうかが、どうにも気になって仕方無いのだ。