くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

ビジネスの成功は逃げないこと

天変地異や、ウイルスの健康被害は避けられないにしても、多くの成功を願う人々が、予測不能の事態にあっても成功を諦めず無理をして力尽きていく姿を見るに、辛く虚しくなる。

 

成功は、多くの賢人が書いているように、才能とモチベーションの継続だけではなし得ないと言われるように、時には運が、また時には向き不向きが結果を左右することがある。

 

もしそのような立場に立たされたとしても、絶望することは無い。

それでも女神は、絶望の縁からでも光を当ててくれくことがあるからだ。

 

そのために、その一路の希望のために、闇をとことん見回しておくといい。

 

もう二度とその闇を見なくも良いように、最初で最後の貴重な体験だと開き直って、闇に慣れるまで気持ちを集中しよう。

 

人はどんな事でも死にさえしなければ、しまいには慣れるように作られている。

 

一旦慣れてしまえば、暗闇でも薄っすらと何かが見えてくるものだ。

闇の中を見渡そう、見渡したら後は光を待つだけだ。

 

不幸に位置ひしがれている方、今の自分は闇に目を向けているか?

 

闇を見渡しているだろうか?

 

もし、闇に心の目が慣れているのなら、今できる事何でも生き延びる事に集中してほしい。

 

あなたは成功したかったはずだ、闇を知ればどん底、後ろはもう無いのだ。

 

前へ進め、闇を知り尽くしたあなたは、もうなんだってできる筈だ。

 

しかし願わくば、闇に飲み込まれて闇社会に成功を求め無いで欲しい。

 

負の世界では、あなたの努力は光と真逆の方向にしか向かないからだ。

 

だから、闇を見渡したとき、どちらが正で負なのか、とことん確かめておいて欲しい。

 

残念ながら負の世界で成功をしてしまった者も存在する。

だが彼らは、その因果を背負って生きる覚悟を解って生きられているだけだ。

 

闇はヒトという知能を持ち得た生物だけが見ることができる禁断の世界だ。

 

それに踏み込む事は、ヒトとして死を意味する世界であり、その先は成功とは真反対の世界でしか無い、誰かが手招きしたら無視しよう。

 

あなたは、生まれてきた以上ヒトとして成功すべきで、闇を潜ったなら恐れる事はもう無い筈だ。

 

他人は、あなたに人と同じことを常に要求してくるだろうが、闇で手招きしたヤツを思い出して、ニッコリ微笑んでから無視すればいい。

 

あなたはファミリーとよべる者以外の忠告は参考にしなくていい、いちいち付き合っていたらあなたの貴重な時間がムダになるだけだ。

 

くどいようだが、あなたは闇を見た稀有な存在だ、そこがとことん能無しな世界だと知っているはずで、2度と訪れ無いと身にしみたはずだ。

 

成功のために、我が身を労り、信じるべきは己のみ。

 

己の真実を謀るな、己を再び闇に陥れる愚かな自分になるな。

 

ヒトはそれさえ忘れず行動すれば、成功できるようにできていることを、多くの人が忘れている。

多くの人がそれを忘れている限り、成功のチャンスの扉は、いつでも開いている。

 

その扉を潜るか否かは、あなた次第だ。

 

「環境」「民主化」で金を生んだ錬金術師たちの世界

日本の高度成長ピークを過ぎ斜陽化し出したころから始まった「環境問題」は、当時ほとんどの日本人は、生産施設の複合工業化によって起きた当然の帰結だと信じて疑わなかった。

 

公害で少なからず施設近隣の住民が健康被害を受け、企業側は訴訟され多額の賠償を支払ったが、その経験で日本人の多くが工業化の伴う環境破壊に、実害以上のトラウマを追うことになった。

 

その後、海外から「環境問題」が世界的な問題として、日本にも解決への参加を求められてきたこともあって、日本政府は莫大な費用を惜しまず支払ってきた……

 

ここまで聞くと、至極当たり前の流れに聞こえるだろうが、本当に当たり前だったのだろうか?

 

TVでは筆者が子どもの頃からグリーンキャンペーンとか、これまでにも海洋汚染対策とか、エコ活動・環境保護・クリーンエネルギー、直接環境でなくとも温暖化や教育格差の影響で、アフリカの動物保護とか、恵まれない子どもに……までも。

 

これらの、自然に対しては「環境」人に対しては「民主化」のキーワードがマスメディアのキャンペーンに闊歩し、破壊や差別などの一部の企業・団体のエゴが、世界全体の問題にすり替えられてきたという事実に、多くの人は無関心だったのではないか?

 

振り返ると、大量のキャンペーン情報で、漫然と人の良心に訴えかけて、一部が起こした問題を全体の課題だとすり替える行為が、世界的規模で起き、成功を収めたことで、特定のキーワードを使えばそれが全体責任に出来る、この既成事実はビジネス化されこれまでに莫大な利益を生み出してきたということだ。

 

これが、関わった人全体にインセンティブを生むビジネスモデルなら、何ら問題ないむしろ素晴らしい発明だが現実はそうではないし、その仕組みを知った者は真面目に働くことを止めてしまうだろう。

 

資本社会が確立した後、資本集団の効率化は加速し、マスメディアが広報ために買収され、市民はその虜にされた社会が、一方でその恩恵を最大に利用する独裁国家中国を生み出し、脅威になっている皮肉な現実。

 

環境改善、民主化と理想を声高に掲げながら、世界はそれとは逆の方向へ向かう中で、新たに掲げられた目標は「人口削減!」

 

ついに世界の目標は、人の反映さえ邪魔になったと結論付けたようだ。

 

これは戦争などによる暴力的な手段で起きるのではない、これまでの環境問題の様に”平和裏に呼びかけ”られ、日本のコロナ対策でもあったように、あくまで市民間の「要請」による「協力」で達成させられる、サイレント・バイオレンス以外に他ならないということ。

 

社会人である以上、「世界的共通スローガン」の生産性に参加できない者は、市民によって社会的に抹殺され、人間的な生活から外されてくだろう。

 

信じられない人も居るかもしれない、信じたくない人もひるかもしれない、しかし人が今まで通り盲目で活かされている限り、このままでは起きる悲劇であり、多くの人がそれさえ気づかず一生を終えるかもしれない。

 

その方が幸せだと思うなら、それでもいい。

それは各々の自由だから。

 

中共政策の攻勢とその背景勢力の影

中共政府が、一帯一路政策で欧州市場の傀儡化と、米国を始めとする技術やパテントの不正奪取による、中共圏勢力の拡大は、多くの人の予測を裏切って厄介で深い策略である事を認めなくてはならないが、アフリカ圏の政府要人買収から始まった巧妙な戦略は、いよいよブラジル政府を中心とする南米にも開始され、近いうちに中米の奪取が成功する事になると、いよいよ本丸の北米も崖っぷちになりかねなくなる。

 

今のところ、トランプ大統領在席においては、かろうじて5アイズによる抑え込みは効いているものの、次期米大統領選挙で民主党が勝利すれば、この詰将棋も詰みとなる。

 

日本も安倍政権の評価を不当に下げる行為が国民を支配することがあれば、詰みであり日米とも全く同じ危機に晒されている現実を、正しく判断しなければならないが、先日地方都市名古屋ででさえ黒人人権由来のデモが実行されたように、国民の間には極めて民主的解釈の大きな誤解が幅を効かせているようだ。

 

愛知トリエンナーレでも起きたように、愛知だけでなく全国で起きる民主主義の悪用と、オールドメディア企業による、愛国心への印象操作がよりいっそう国内メディアに強制力を増して、慢性的な歪んだ意識の恒常化が問題化しつつある。

 

SNSの書き込みを比較する範囲では、概ね正常な判断がされいるようではあるが、未だ一方的な押し売り情報やインフルエンサーを使った印象偏向の情報に、判断を流されやすい傾向は相変わらずで、利用されやすいのはウイークポイントである。

 

情報感染者側の連携が巧妙である限り、そこからの防御に必要な情報透明化も連携を強め積極的に働きかける必要があるだろう。

 

さて、これらの偏向的な圧力、特に中共政府の表立った行動が、ウイルスパニックの回復時期を狙ったように、異常な程強力になっているのには、中共政府以外の資本がバックアップしてい無ければ、あり得ないのではないか。

 

これを陰謀と見られるのを敢えて承知で書くが、言いたいのはこのバックアップによって、自由経済への抵抗は思った以上に長引く公算が高くなると言う厄介さである。

 

中共政府の粘着質な行動を、この経済疲弊時に利用する資本協力があるならば、暫くの忍耐は避けられないし、それが誰によってというよりも、便乗目的を精査し警戒する情報共有も必要になってくるだけに、過度な反応は混乱を招くがその目線も忘れてはならないだろう。

 

その証拠をあげるのに時間を浪費する必要は無い、その可能性を感じるならそれはおそらく正しいし、それならば判断材料に加えておくだけのことだ。

 

誰が見ても独占的で横暴な中共当主の稚拙な発想だけが、自由社会の圧力の源となっているとは考えにくく、隠された支援部隊の供給を我々が断つ事はできないにしろ、それによってはびこる便乗商法に警戒しておいた方が、失敗しなくて済みそうだ。

 

世界を引きずり振り回す者へのレジスタンスは不可能ではあるが、その遠心力に耐えながらも、目を回さないように冷静に生きることは出来る。

 

それはささやかだが、その世界で自分らしく生きるための、ささやかなレジスタンスだと思えれば、そこそこ成功じゃないかとも思う。

 

それでも世界は回り続けている、中共せいふの暴挙はその国家的レジスタンスのつもりなのかもしれないが、相手が暴力で仕掛けてきていない限り、暴力で抵抗してもむしろ不利になる一方だろう。

 

巧妙な相手には、同様の巧妙さで反抗するしかないのだ、そして静かに勝利への道に近づくしか、勝算の女神は振り向いてさくれないだろう。

AIと人間の関係

今回のWWDCでappleが次期新製品発表に中で、CarKeyによる自動車などを移動体デバイスとして、リンクさせる技術を発表する方向のようだが、過去から開発を進めていて中断されたAppleCarテクノロジーの核が流用される見込みだ。

 

google社でも、従来からMAPでモバイルシーンでのAIによるデータベースとビジネス連携の利便性は、今後もリモートワークやショッピング、ライフワークまでにも連動性を高めて来ており、中国以外はほぼ独占状態にある。

 

これだけの、経済利便性を平和理に享受するには、資本主義経済圏の市場が標準化できている前提を必要とするが、その経済圏覇権争いの行方が今年山場を迎える。

 

 

アメリカと中国の経済戦争で、グローバル市場の覇権を得るには、貨幣の仮想化と流通インフラを現実化しなければならないが、資本社会圏で上の2社の技術は不可欠な現実だが、デジタル貨幣の普及もどちらの貨幣経済が標準化されるかも佳境を迎える。

 

中共政府の独断によって、唯我独尊の一党独裁を死にものぐるいで実現しようとしているが、我々はその事実を、今すぐ受け入れ、中華に依存するか資本圏につくかを選択しておく必要がある。

 

前者であれば搾取社会と人権放棄を覚悟しなければならないし、後者ならある程度の個人情報の流用を許容しなければならないが、どっちつかずでいいとこ取りするような選択肢は、AIを混乱させ、その恩恵を正常に受けられない結果になりかねない。

 

これは今のところ最悪のケースと言えるが、資本圏側のAIの多くが正常に働いている現状では、通常なら後者を選ぶのが賢明だろうが、今後の前者と個人癒着している勢力がいる以上、中共政府が倒れない以上その抵抗は、十年程は続く事は覚悟しておいた方がいい。

 

少なくとも日本では、中共独裁への抵抗派が多いとは思うが、個々の経済事情が厳しい者から徐々に搾取されていくのは避けられず、今後経済の自由度が低い未成年若年層が、彼らにとって接触ターゲットにされる危険性大である。

 

彼らの戦術は今までもこれからも、親しみを込めて近づき、経済補助や性的勧誘で正常な判断力を麻痺させ、散々利用した上で突然豹変するという酷悪なや○ざと同様に、足抜けできない関係にして経済奴隷化させていく。

 

日本人の教育で徹底された性善説的思考や道徳観念は、きちんと使い分けるスキルが無いと、良いように利用されるだけに、日本人感覚に違和感を感じる相手は、例え何人であっても日本人であっても、警戒するほうが賢明だろう。

 

いずれの勢力が覇権を握るかはしれたことではないにしても、日本人として理想的なのは、日本を意識して日本人の自分を信じて行動できるよう努力するしかないだろうということ。

 

覇権争いはここから5年ほどが峠となる、中共の香港制圧が成功するかどうか?アメリカ大統領でトランプ氏が続投できるかどうかは直近の指針になる。

 

更に、欧州の中国覇権化の行方、黒人人権運動を利用した民主を気取った極左派の動向、全国に散らばる中共学閥の教育機関の圧力の行方など、いよいよ中共が仕掛けた時限爆弾がカウントダウンを始めた。

 

どのタイミングで発火するかは、中共側の体力次第であり、バックに控える極左派の政治工作がその発火をコントロールしている限り、日本人は気を許せない。

 

これはコロナウイルスより危険な驚異であり、暫く意識して日本人はより日本を意識しておくか、一種の日本人引きこもりする事が、処世術であり多くのシーンで心の支えになるかもしれない。

 

至極曖昧であり抽象的だが、この暗号が唯一日本人同士をつなぎ、ある程度一定方向に進む指針になっていくだろうし、今後のグローバル化の中で、言わずとも伝わる最低限の約束事になれば幸いである。

AIによってすぐにも激変するワークスタイル

今まで人による経済発展が、AIの参入で人のペースを超えた進化の速さに戸惑う意見も多く残っているが、その罪があるとすればAIを使って人が人を追い込んでいく罪は問われるかもしれない。

 

AIで合理化されるであろう、仕事や作業工程の短縮によって、間違いなく人のワークスタイルやライフスタイルは、次元が変わるのは間違いなく、その姿は未知数だけに不安が増しているのは仕方が無い。

 

その動きは好む好まないに関わらず、既に進行しているという実感は職種によってまちまちだが、テレワークが漠然とその実例に挙げられても、導入が困難な職種では実感を得にくいため、好意的に取られやすい。

 

では、AI化による影響力がわかり易い、大手TV局の様な雇用形態を例に影響力を考えて見ようか。

 

放送業界(広告も同様)で、番組などメディア制作は既に以前から分業化は始まっていたが、制作は企画から編集までの業務が外注化され、TV局自体は広告代理店同様に、企業間の橋渡しなどの総合的管理が主要業務になっている。

 

本来の制作業務は、ソフトウェアのAI連携で人の経験に頼っていた、編集作業のユニット化やコンテンツフリー化で、技術の共有やコストカットが常習化している。

 

制作面の合理化よって、人事面の運用が大きな変化が起きていて、制作者は独立する傾向があり、既に外注化は当たり前に。

アナウンサー業務もフリー化推奨され、出来高制導入でスキル基準の明確化標準化にAI導入で管理評価の標準化が進みやすく、自宅勤務で雇用形態が正規雇用から非正規かしやすく、合法的リストラが進行している。

 

また、在宅勤務によってスタジオなどの価値見直しで、空きスタジオの一般者や企業へにレンタル、事業、社内にもAIやIT事業部門が設けられるなど新たな収入源となっていたり、自宅勤務で交通費や労務管理の削減も可能になった。

 

 

こうした具体的事例を見れば、他の業態でも起きうるAI導入の影響はイメージしやすいだろうし、他人事では無くなるのでは無いだろうか。

 

これらの問題で共通するのは、AIによるデータベースの共有化、業務のマニュアル化や自動化、それによって人権費削減と労務管理リスクの回避が可能となり、結果として多くの人材があぶれる結果につながった。

 

AIの進化そのものに罪は無く、利用する人間の運用動機に問題がある点は、しっかり理解した上で今後あぶれるであろう、フリー化する人材スキルをそれぞれがどのように改善していくかは、サラリーマン的企業依存する習慣の致命度を、すぐにでも捨てられるかにかかっているのではないか。

 

 

仕事の個人化する傾向は、AI導入の可否に関係なくどの業務にも適用されていく傾向は、加速しても減速することはないし、逃れられない以上その流れに対して、各々がどういった立ち位置を取るかしかない。

 

かと言って、関心が高まっている海外移住や資産流出させる回避は、簡単に飽和状態になるだろうし、根本解決には天変地異が起きない限りなり得ないだけに、国内で自分をどうスキルアップし価値を上げるか、この課題解決無くして根本解決にならない。

 

これからの個人は、Alの導入を恩恵として解釈し、もっと人の生活へ具体的にどう生かされるかに関心を持つべきで、間もなく迎える5Gインフラの導入で得るメリットを最大限利用し、その中で自分という素材を活かすスキルを考えていくべきだろう。

化学・医学進歩と、経済成長の相乗効果が示すもの

ここ一週間の間に、中共起源ウイルスの抗体ワクチンの開発に、明るい話題が次々に現れてきたことは幸いなことだが、世界各国が仕込んでいた様々な開発に目途が立ち地あって、これに慌てたのか中共も追いつけと言わんばかりに、ワクチンの開発状況を広報してきた。

 

しかし話題は、急遽発表されたアメリカの開発で、突然有効なワクチン候補を見つけたという話題は、多くの反トランプ派にとっては寝耳に水だったに違いない。

 

一時はどうなるかと、誰もが不安を隠しきれなかったものの、いずれは対抗策は開発され普及していくと言うことであり、人類は何度もこうして窮地を乗り越えてきたという事実を、我々は誇りに思うべきだろう。

 

目覚ましいほどの科学技術・医療技術の進化は、スパコンそしてAIの進化とともに、これまで人の思考速度をけた違いに超えた計算・演算が可能になったことで、時間短縮を可能にした。

 

環境や保険の領域が、ひと昔にくらべて安定し安全に保障されるようになったことで、経済も安定をほぼ予測できるようになったことは大きい。

 

これによって、経済予測や、景気の見通しが数値上で予測したものに近くできて、合理的な成長計画が実現しやすくなったことで、あらゆる人間の生活は自動化され、人以外の代行で成り立ちやすくなる。

 

ウイルスにしても人口抑制にしても、計画の範囲でコントロールされることで、むしろ悪意があれば武器にさえ転用できる世界にもうなったと言っていい。

 

経済が計画通りにいくようになれば、その治安に対するルール管理も、よりシビアに強制的にされる可能性は高いし、安全を考えれば市民もそれに賛同する者が多くなっていくのだろう。

 

そして本来の「自由」の概念は、個人にとって文字通りパーソナリティの自由を意味するものから、社会機能の自由を確保するものへとよりシフトしていくだろう。

 

これの意味するものは、良くとれば安全で平和な社会となるし、悪くとれば一定の自由を犠牲にした社会貢献ということになるが、総じて自由行動への柔軟性は制限されることが大前提というのが、共通の約束事になっていくだろう。

 

今の我々の様に、四六時中監視されている社会に拒否反応を示す自由は、もうその常識の中には含まれなくなるし、逆をとれば国と言う概念はむしろ無用の長物になるかもしれない。

 

気が付けば、特別騙されたという意識は無いし、便利で安全に暮らせる世の中という実感の方が強いかもしれない世界とは、どういうものなのかは筆者にとって、理解しがたい世界である。

 

このような進化の速さからして、あと2,30年程度で世界は激変するのは、決してSFなどの絵空事でなく現実になることだろうが、テクノロジーの真価に上手く人間の倫理観や道徳観が、順応されていくのかどうか、むしろそちらの方が原因で、想定外の事が起きなければいいが、と思っている。

 

我々が望んできた技術進歩と経済成長は、互いが補完し合って人類が住みやすい世界に変わっていこうとするが、太古日本の祖先が想像していたような、自然と人類が協調する社会とは異なっているだけに、それが良いことなのかどうか、その意味で「自然への畏れ」を失ってはならないだろう。

日本人のビジネス下手が、常識になってしまった事情

日本人が海外のビジネスマンと比べて、国際性に欠けるとか交渉力の劣るという評価が、国内では一般化している傾向をよく見聞きさせられるが、果たして本当だろうかと、首をかしげたくなることが時々ある。

 

実際に自分に置き換えても、そうだと思うことは過去に何度もあったが、もしかしたら単なる刷り込みなのではないかと考えるようになると、巨大なペテンに晒されている危機感も起きてくるのだ。

 

もちろん個人によっては優秀な人材は多くいるし、ビジネスで成功する日本人は何人も称賛されているが、交渉力や国際性に劣等感を持つ人はまだまだ多いように見えてしまうのはなぜだろうか?

 

日本は、先進国に仲間入りして久しいが、国際感覚はアジア・中東・アフリカなどの発展途上国の方が、優れているように見えるのは、おそらく海外に身を置く価値観の差なのかもしれない。

 

例えば言語だと、日本では多くの人が世界標準語の英語でさえ、教わっているにも関わらず、特別な言葉と捉えやすいが、先進国の多くは搾取された歴史が長い分、生活に欠かせない第二言語として、教わらなくとも覚えてきた。

 

ものの視野にしても、従来識字率が高く知的であるはずの日本人が、日本語圏に拘り過ぎた結果、世界市場の動向に疎くなってしまったし、自分の足で稼がなかった分タイムリーな世界情勢に追いつけなくなった。

 

この伝統が、企業間で受け継がれ戦後数十年経った今、固定化されてしまった感は否めず、それがひいては苦手意識へつながり、企業も英語学力を生かせず、海外進出も他国に代行させ、結果いい様にされた挙句に、唯一の商材の技術や設備を海外に出してしまった。

 

ここまでくると、ごく一部の国際企業に成長できた法人以外は、個人レベルの再構築からやり直さないと、追いつくことさえできなくなるだろうことは、目に見えている。

 

何より悲惨なのは、敗戦国の引け目意識から脱出できないまま、国際意識を凍結する方向へもっていってしまったツケは大きいし、教育も国際社会に対応できる人材育成も力を入れてこられなかったこと。

 

海外経験の無い親は、その子を海外へ旅させることも避け、わが身の世話をさせる教育をしてきたが、それさえ高度成長期の産業改革の波で、国内の経済成長にその糧をとられてしまった。

 

この流れを見ても、戦後に起きた日本の復興は、日本のためにではなく、世界のためにあったにもかかわらず、それにだれも疑問を感じることなく、国や企業に盲目に従い続けてしまった結果なのかもしれない。

 

日本人が国際化に対応していくには、発展途上国がそうであったように、身の回りに国際状況を置いて、ガチにその問題に取り組んだり、なにより避けてきたリスクを取っていかなくてはならない。

 

井戸の中で怯えて暮らしてきた蛙にとって、井戸の外の世界はある意味仮想現実でしかないのだし、その世界で成長した親を含む大人たちにある意味歯向かうくらいの意識がないと、もう難しいかもしれない。

 

国際問題を身近なものにするために、外人雇用をや入植者を許容していかなければならないし、かつて移民で他国へ船出していった日本人の様に、海外にリスクを背負って生活の拠点を移すくらいのバイタリティを、持てるだろうか?

 

人によっては海外留学程度の経験でも、優秀な人材に成れる人も居るだろうが、多くの人は、最初は損してでも、可能性を計算に入れた上で海外進出をしないと、国内市場の飽和状態や、日本の窮状から対処できる人は少ないのではないだろうか。

 

日本は今でも、とても素晴らしい国だと筆者は信じているし、日本に一生生きることを全否定してるつもりは無いが、明らかに日本人は世界の輪の中に入るどころか、見えない我部の外に置かれているのも事実だと思っている。

 

この差を知ることは、国の施策に依存せずに個人レベルのリスク取りと負担を追って、初めて出来ることだし、来るものを受け入れるか、自分が出ていかなければ実感できない現実だと考えている。