くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

小説:朝井リョウに関して

 地元東海地方である、岐阜県不破郡垂井町出身の若手の作家、朝井リョウ氏も今年28歳だという。

大学在学中に直木賞作家最年少記録をつくったのは、彼の作家アイデンティティの核を担っているものの、ネットが普及し素人総作家時代と、揶揄差れる変化の激しい業界において、かれはどこに活路を見出しているのだろうか。



 彼が、世代相応の等身大のネタを小説にしているので、有名になって久い中で人とは違った社会を観察する目線は、朝井小説の生命線であり、独自性と言えるかもしれない。

しかしそんな独自性を評価された彼ではあるが、その片鱗は中高という特殊な時代環境で、世代ならではの体験を中心に多くの経験からだと言う。

 

中高をランク付けされる大人社会に無い特殊な社会と感じていたらしく、目立つ人そうでない人から勝つ人負ける人までを、一括に矯正される縛られた世界だと見る彼の感性は、混沌としていた定まらない軸は、彼のお姉さんの「自分の表現をしろ」と言うアドバイスで一気にまとまったと語る。

 

彼はその時代での経験という引き出しを使って、同世代の抱える問題をテーマに、小説を書き小説家最年少デビューを果たし、社会派として認知される。

ただかれに言わせれば、その評価は本人とはかけ離れた、中高で味わった人を束ねる社会の縛りでしかないと感じていたらしい。

 

筆者の世代からして、中高での縛りと言う認識は、認めがたいが否定できないと言う、今更の後悔を指摘されたような、後ろめたさを感じずにはいられない。

たとえその指摘が的を射ていようがいまいが、素直に認めたくないのは、この世代が、戦後引き摺ってきた常識を肯定しながら、新しい考えを模索して答えを出せなかった世代だからであった。

 

私たちにとって大事なことは、朝井リョウ氏のような新鮮な視点に、素直に向き合える思考のゆとりと、それを原資にして今築いている社会的立場を活用して、可能性や多様性を広める役割を担うことかもしれない。


 多感な時期に、縛りからの脱却を夢見て道徳に縛られない私小説も書いていたと言う、彼の小説家としての器は、社会のもどかしさと闘いながら、また巧みにその空気を嗅ぎ取ってかわしながら、彼なりの独自性を探る姿こそ、社会が縛ろうとする小説そのものを開放する道を模索するものであり、共感の外を目指す実験小説をマイペースで繰り出す、朝井リョウ小説の存在価値を、今後も大いに成長させて欲しい。