くろまのパーソナル・ワークショップ

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「ラテン系」が没落する日?

ここ数年とても気になることがある、

妙に堅苦しい世界情勢の空気とでも言おうか。

 

その根っこが何なのかを模索してみるといろんな見方ができるが、

俗的な面で言えば「男女性差」への露骨な表現の抑制だったり、女性差別をキーワードにして過剰な性的露出(見た目はもちろん、言葉や言動も含む)が、ちょっとしたことでバッシングを受けている現状だ。

 

また国家的にみても、ラテン系国家の不況が目立つのは偶然か?

例えば最近ニュースに上がるスペインやイタリア欧州ラテン国や、メキシコやグアテマラなどの中南米諸国が、10年ほど前あたりから経済破綻や政治不正などでニュースに上がらない日は無いほど。

 

発展途上国では無い証拠として、東南アジアやアフリカ(軍事情勢は昔から悪いが)はむしろ経済発展していることからも、別に考えないといけなさそう。

 

身近なところでは、欧米でSNSでことさら女性蔑視的なキーワードが席圏し、国内でも幼女殺害や幼児虐待、痴漢報道が連日のようにニュースを賑わしている。

 

一昨日か米の恒例ベント「ミスアメリカ」の水着審査の停止ニュースは、性的誇張を嫌う空気が来るところまできたな、という実感が持てるエピソードに思う。

 

「今にもリオのカーニバルも、消えるんじゃないか?」

 

と思えるほどの過敏さが、今年になって加速しているのは何だ?

 

上の米ミスコンで言うなら、むしろ男から見て羨ましいとも思える、

「体の曲線美を競うのは、女性の武器であり特権」

を抑制し、権限や社会的同位の性差を問題視して、男性の

「権力嗜好・ヒエラルキーや暴力性」

を強力にスポイルする方向に動いた結果、男性的特徴の生物的性差を肯定する文化をもったラテン系の国家が、その煽りを食らっているということかもしれない。

 

アダムとイヴの伝説以来、太古から男女差(SEX:生物的性差)は当たり前の概念だったはずだが、これに代わってこの先はジェンダー(社会・文化的性差)がより標準化されていくように見える。

いや、本来のアダムとイヴ伝説は、ジェンダーのことを指していたのかもしれない。

 

時代の流れは変えられないのだろうが、そもそも男性的な特性である、

「動く」「壊す」「変える」というベクトル特性は、生物的性差が原動力であると考えているので、極端な男性優位・女性蔑視観は、人の未来を加速する力を抑えはしないかと、気になって仕方なかった。

 

日本でも「奇祭」とよばれることさらSEXを強調する祭りや、そもそも従来の男性の行動的な特徴をイベント化する伝統が残っているように、さまざまな技術進歩によって世界の垣根が無くなって来ている今にあって、むしろより生物的性差は、

 

「未来の指向性を高めるためにも、無くしてはならない人類の武器」

 

と考えているのだが、

こういう意見も、女性蔑視として片付けられてしまうんだろうか?