抑圧する側・される側、相関の視点
議員にしても、スポーツ選手にしても、既存の所属組織からのプレッシャーからの反発が報道されるようになってきた。
おそらく今後も増えると想像できるこの動きから想定できるのは、我慢が心情の日本人の抑圧逃れが起こり出す前兆なのかもしれない。
東京新聞:「辞表出せ」発言 麻生氏、圧力の議員擁護 石破氏反発「パワハラだ」:政治(TOKYO Web)
我々が注意しなければならないのは、麻生氏のように大局の視点で発言する者と、齋藤氏のような末端の視点で発言する、この相違はどちらも正しいと言う事実である。
体操選手にしてもそう。
高須院長、宮川紗江と正式に所属契約を結んだことを発表 宮川から「体操協会のスポンサー許可がおりました」と報告 : スポーツ報知
体操協会トップの理路整然とした弁明のあと、今日新たな展開があった。
高須院長のサポート申し出は、劣勢の原告側には救世主となる。
院長は弱者側に立つスタンスとのことだが、一方でクリニックのイメージアップ効果を狙う本音もあるだろう。
こうした弱者と強者の相関関係は、往々にして全く別の視点で利用されている事を理解して傍観すべきだが、メディアは敢えてこの点を控えて報道する事が多くなったように思える。
それらから見えてくるのは、かつてアメリカとソ連が繰り広げてきた「代理戦争」
と全く同じ構図だと思うと、資本主義・重商主義の世界では、スポンサーやパトロン目線の茶番劇ともなりかねない、厳しい現実にぶち当たる。
我々消費者は、いちいちこの視点にまで立ち戻ってから「代理戦争」の真偽を判断していく、知恵を持たなければならないと言う事だ。