使えない、メディアの台風・地震報道
視聴者側も既に看過してしまっているのかもしれない。
日本という国は、地政学的に台風や地震とうまく折り合いをつけていかねばならない宿命の国。
地震は予測が困難なので、事前対策は可能なら耐震補強や保険加入。
台風は沖縄の人々みたいに、当たり前のように耐防風補強や生活品の準備。
生活習慣の一部に組み込んで、起きたら即対処・撤収のサイクルに馴染むしか無い。
それぞれ被害規模にもよるが、政府もどの国家予算より最優先で復旧費を拠出できる準備が必要だが、残念ながら現状は想定外でかたつけられ、最後まで面倒をみないまま、打ち切ってしまっている。
さて、メディア報道はどうだろう?
結論から言えば、起こる前は祭りのように煽るだけ煽って恐怖心しか訴えないし、起こった後は混乱状況を今更のように叫びまくるだけ。
その間、申し訳程度に「気をつけて下さい」「備えましょう」とか分かりきった事を繰り返すだけで、視聴者に役立つ情報は流そうと努力さえしない。
毎回災害の規模や影響力は異なるが、今のメディアはそれを変化した数字だけ変えて”通知”するだけで、後で責任問題になりそうなリスク回避最優先にして、持論情報は避け、専門家を焚き付けて扇情的なエンタメ性を助長。
どうも被災地以外の視聴者の好感度を期待した番組づくりを優先させているように見えてならない。
日本にもほしい? 台湾の台風休暇の話。(田中美帆) - 個人 - Yahoo!ニュース
メディアが流すべき情報とは。
くどく思われようと、絶対必要となる信用情報を何度も何度も流すべきであり、当事者に最優先で届く必要情報をどう伝えられるか?
を音声映像で明確に伝えること。
通り一辺倒の未加工の数字を垂れ流しても、受け側に伝わるものではない。
正確な最新の情報を速やかに噛み砕き、子供でもわかるように、また精神的ゆとりの無くなっている人でも、正しく判断しやすいように、一般情報とは異なった表現方法を提供しなければ、メディアの緊急情報の価値は皆無だし、それはプロとして当たり前の仕事のはず。
視聴者目線で番組制作するのは平穏なときにすべきで、緊急時にお祭り騒ぎごとく一緒になって、煽り、右往左往して騒いでも、混乱を助長するだけでその回避や改善に何も役立つことは無い。
その点で、彼らは緊急時に使える情報の提供に徹底できていない点で、むしろ障害にさえなっている自覚はしてほしい。
「正確な事実を報道するのが使命です」
という言葉が返ってきそうだが、それは最低限で当たり前の事で、それだけならただのメッセンジャーボーイなだけで、存在意義が薄すぎる。
更に、事実を報道しているのと同時に、報道側の不安や迷走感まで伝えている自覚が無いようで、流す以上は視覚的・音響的に配慮したものでなければならないはずなのに、この点では結果的に見てもむしろ逆効果の演出をしている意図が理解できない。