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北朝鮮・韓国がつながる時代の意味と、その先の世界

北朝鮮の態度軟化をきっかけに、40年以来のふたつに分断された国がひとつになろうと関係を深めている。

この新しい動きに対する筆者のスタンスは賛成でもないし反対でもないと予め記しておいた上で、このエピソードを起爆剤にした経済の動きについて書く。

 

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板門店のJSAで非武装化が終了 南北と国連軍、42年ぶり | 共同通信 - This kiji is

 

日本からすればこの動きは、地政学的に見て本当にすぐ隣の国の出来事だが、国内ニュースを読んでも世間の話題からも、注目度ははなはだ芳しく無いようだが、あえてそれに至った意味を考える。

 

もう数十年経つ、かつて戦時(第二次世界大戦)に分断され戦後併合した国が欧州にあったが、アジアでもベトナムなど影響が小さいながらも同様の事が起こっていたし、日本も第二次世界大戦集結時に、列強諸国による分割案があった事実はあまり知られていない。

 

どのケースも、その当時の列強国の思惑によって実行され、用が済めば何事もなかったように戻るという、当事者には理不尽な歴史の爪痕としても、彼らにすれば歴史観のいちページに残されるだけだが、当然ながらこの事実は列強への莫大な経済効果を生み、一方で国家間でのいわれのない格差が作られてきた事が、その目的であり事実として後読みができる。

 

そして現在、未曾有の世界的な経済やマネーの行き詰まりを見せる中で、この新たな併合エピソードが列強国にもたらすものは何なのだろうか?

 

未来は予言できないものであり、あくまで予測の範囲でしか赦されないが、ITの普及に貢献した韓国と閉鎖された市場を持った北朝鮮の併合、そしてその隣には世界第2位に上り詰めた中国は存在する。

 

 これは偶然でなく明らかに人為的な思惑が多分にあることは、容易に想像できると思うが、この動きが過去のように西洋列強によるものか、東洋経済圏資本筋の下克上を狙うものかは、まだまだ謎を多く残す。

 

 何れにしても、その両者の狭間で日本はどの軍勢に付くのかを迫られる時であり、事実安倍首相は今当に中国に赴いている。

 

かつて経済大国だった日本は、今の世界経済の地図においては落とす影は見られないほどのランクに落ちつつあると見えるほど、世界経済はダイナミックに勢力図を激変させつつあるが、安倍首相も自分の待望であった憲法9条改変の志を保留にしてでも動かざるを得ない状況がそれを示している。

決して単に保身だけで動いていないし、そんなことさえ陳腐化されかねないほど日本は追い込まれ、今重要な岐路に立たされているということなのだろう。

 

奇しくも同時期の今、トヨタが呼びかける自動車業界の「オールジャパン」構想は、政治経済の分野にこそ現実性があるが、私たちも「木を見て森を見ず」の愚行のような目で判断・行動してはならない。

 

中国や韓国が「軍国主義」だと、こうした国内の結束を口撃する動きは、もしかしたら後者勢力の思惑によるものと言えないか。

また「それが事実か妄想か」のような無意味なテーマが、あらゆる問題の場所で論議する場面が往々にして見られるが、テーマがどうにせよ共通して言えるのは端から結論を出しようがない揚げ足取りであり、それを騒ぎた立てる者が、国内経済を混乱させ私たちの望まないシナリオへ誘う目的で実行しているのかもしれない。

 

最後にリスクをとって結論を出すのは、専門家でも政治家でも社長でもない、自分自身である以上こうした今の平和に見える社会の空気からすれば、絵空事の妄想に思えるかもしれない。

ただ、その妄想は根っこのある妄想であり、その根っこが存在する事実がある以上は否定してはならないと考えている。

 

木を見て森を推測するように、同時に木を成長させる根っこは「事実」を示しているのであり、その実態は私たちの身の回りに平然として転がっているもの。

ただ、その根っこがどうつながっていて、木がどのように育つかを推測する唯一の現実であり、宝の山だったりもする。

 

その見えない根っこを掘り続ける手間と、そのつながりから浮かぶであろう森の姿を論理的に創造する時間を、本当の森を俯瞰できない立場である私たちには、妄想程度でしか赦されていない。

その現実の中、ささやかながらもその努力は無駄ではないし、むしろ手を止めたり逃げた時点で、森に飲み込まれることを意味する。

 

過酷だが、それが今の現実であり、唯一人が人として存在できるボーダーラインでもあるのだから、人として在り続けたい者は等しく怠らないよう励みたいものだ。

 

それによって、少しでも変わる未来を期待する。