くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

近代技術が生んだ、アンチ自然への修正し難いリスク

 

地元近隣の岐阜県で、感染が問題となるコレラ菌が養豚から見つかった。

先日報道された鳥由来インフルエンザと合わせ、ここ数年で新種のウイルスもたらす新たな健康被害への話題は後を絶たない。

 

headlines.yahoo.co.jp

岐阜市の豚、豚コレラ陽性(共同通信) - Yahoo!ニュース

 

こうした健康被害への関心は、繊細で潔癖症の傾向が大きい日本人の感性からして、影響が大きく改善への要望は今後もより強固になると考えられる。

可能な限り人体に安全で健康的な食物への関心度は、安定している社会では最も注目度が高まっているなかで、その要望を逆なでするように見えるこれらの事実は、自然由来であるはずの農作物や家畜などの食物の製造工程の工業化によって歪められた結果であり、遺伝子操作によるウイルスの奇形を生んだ原因とも言える。

 

 

自然由来の食物を人口のテクノロジーで変形させることは、

その中に生きるウイルスにも反旗をひるがえす機会を作ったということ。

 

 

仮に豚や鶏に限定して言えば、従来の養豚や養鶏農業は、人が家畜を世話し自然の肥料を与えて健康管理を直接管理したことで、生き物として意識し人の口に入るものとして小規模で生産されてきた。

その後、近代工業・化学技術の進化で、その行程は機械管理・自動化され、肥料も衛生化の名の下に強制的な抗菌化と化学由来の人工物と化し、工業生産ノウハウを取り入れた、非生物商品と同じ工程管理の元で生産性を劇的に上げてきた。

 

一見この流れは私たちにとってメリットが大きく、手軽に安価に豊かな食生活を享受できる社会を実現し、生物本来の法則を無視した結果、生き残りをかけたウイルスの進化・変形を促したということになる。

農業・畜産の自動化は、生産性向上とコストダウンと引き換えに人の目の届かないところで曲解され、そこに導入される安全性や衛生面は化学薬物や人工物の蔓延を許しながら、自然の法則を度外視した結果の帰結と言える。

 

その結果、従来なら当たり前の「自然農法」「有機畜産」が、まるで特別なもののように商品価値を高める結果になり、本来タダだったものに私たちはわざわざ金を払うのが当たり前になってしまった事に憤りを感じる。

また、農作物・畜産物の本来あった生物的な特徴を生かさず、人工的に生み出す遺伝子技術が新たにその危うい利便性を加速する時代に入ったことは、ますます私たちの自然や天然にたいする解釈を「人工物信奉」とも言える迷路に引き込む流れに貢献しているように見えるのは、筆者だけではないだろう。

 

一部のシンプルな自然の摂理に倣って生きる生きる人々が、自然への回帰にライフサイクルを変えているものもあるものの、その主流派その流れを否定さえする方向へ流されているが、これって「AIと人間の対立」と見た時と同じ「自然と人工物のバランス」をどのように管理していくかの、人が知恵を持った時から試される限りある地球資源の枯渇につながる壮大な課題として捉えるべき問題。

このテーマを陰謀論的解釈すればその行き着く所には、人が当たり前に行ってきた生産から消費という営みの流れを自ら寸断し、自然回帰けのチャンスと誰もが持つ平等性を奪って、一部の企業集団のみしか利益享受できない特殊なものとなることを意味すると、どれほどの人たちに認識されているかどうか甚だ疑問だ。

 

産業革命で人が行ったことには、工業製品のそれだけでなく農産物生産でも生産管理に機械や薬品の導入を加速させ、新たな利益構造を生み出したことも忘れるわけにはいかないのではないか?

長年農畜産物に携わった者なら実感するだろう「手の届かなくなった食物生産」の壁を作ったことで、多くの人々が必要な時に肉や野菜を食べられる時代を得たが、それによって健康に関わる食の管理を放棄し、金で買う仕組みを受け入れることになる。

 

この選択選んだ人間は、果たして私たちに大きな収穫(ハーベスト)を得続けられるるだろうか? どうも余計なことを始めてしまったのではないか?

 

世に湧く陰謀論には、上の例に見られる「自然の摂理を無視した罪」への不安がベースになっているものが多く、国によっては宗教的にまたは、噂話のゴシップとして認識され、その真偽問わず無くなることがないのは、世界共通で人の心に残る罪悪感の現れであって、戒めなのだ。

 

今の時代、人をふくむ生きとし生けるもの全てが限られた地球という舞台で生存争いを繰り広げる中で、人が取った収穫(自然の恵み)の工業化戦略は、ウイルス変形に見る通り、他の生物からの反撃を受けているという段階と捉えられる。

目には目を、と言った対処的な防御は人から見れば真っ当にかもしれないが、地球規模で見れば場当たり的であり、人は今後も対処療法に逃げた事で新たに未知の問題を生み出しているし、今後も自然の摂理を無視したツケとして返済を強いられることを忘れてはならない。