くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

個人攻撃してる暇はない、日本企業の脆弱性

週明け、ゴーン氏は罪を否定と報道された、ここで「何を今更」と言い切るのは簡単だが、一方で国内でも日産の課題に言及する識者も出ている。

gendai.ismedia.jp

「カルロス・ゴーン氏は無実だ」ある会計人の重大指摘(細野 祐二) | 現代ビジネス | 講談社(3/3)

 

日本企業のグローバル化の遅れに危機感を感じ、アメリカでは経営立て直しにコストカットは常套手段なほどの対処を実施した貢献者を皮肉る体質は、その最たる認識力の低さを意味する。

しかも上の記事は、ゴーン氏単独犯に疑問の残る問題で、本丸は日産会計陣にあるのでは無いかというトンデモナな見解も視野に入る事を意味する。

 

日産・ゴーン氏逮捕ネタの第3弾目、本来一回で終わろうと思っていたものの、ビジネスネタとしては、重要案件がてんこ盛りな案件のためシリーズになってしまった。 

 そろそろ、このニュースもそこら中で書きまくられてきた割に新展開も無く、いい加減食傷気味の感も否めないので、少し別のビジネス視点で書きたい。

 

まずはおさらい。

前記事で少し触れたが、この騒ぎは国内における政府と日産の思惑が一致したうえでの確信犯だったことは恐らく間違いない。

その思惑は、近年からトヨタ自動車と政府が連携して進行している、自動運転システム実施への思惑であり、このプランに日産も大きく関わっていたはずで、国策レベルで進める計画に不可欠な日産を、海外企業に持って行かれる訳にはいかなかった。

 トヨタは、相変わらず順調に自社ノウハウの国内還元を進めている一方で、このタイミングで日産の海外企業化の阻止に出たものの、今後の公開株式の買い増しやルノー執行部の影響力低減など、課題は山積み。

 

response.jp

トヨタ、DNA解析技術をJTへライセンス供与 葉たばこの品種改良を支援 | レスポンス(Response.jp)

 

 下の記事は、無印の自動運転への海外プロジェクトへの参画の記事で、日産は電気自動車ノウハウでもこうしたプロジェクトへの関与が、期待されるべきだったというところと、記事中に紹介されたルノー車製シティ・コミューターは実質日産製で、ルノーの製品の基幹技術は日産の技術力無くしては成立しないということを言いたかったので引用した。

toyokeizai.net

「無印良品×北欧×自動運転」の意外な仕掛け | 自動運転 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

これでわかる通り、ルノーそのものの自動車メーカーとしての実力は実質大したことはなく日産の基幹技術あっての業界シェア世界2位の地位と実力なだけに、それをおめおめルノーの手柄とさせないための、日産側幹部とそれを憂う政府のドリーム・タッグは当然の帰結

事実、フランスとて政府肝いりでゴーン氏にルノーへの日産吸収を実行させていたし、彼も口では3社分立をうたい高額報酬に配慮する顔を見せながら、実際はフランスの犬として動いていたわけで、日本の立場で言えば寝耳に水だし看過できるものではなく、このタイミングで日式のシナリオが実行されることになったのか?

 

虎の子の日産乗っ取りを、日産側幹部はかつてゴーン氏流コストカットで苦渋を舐めさせられた関連・下請け企業と従業員らの

・「仇討ち」という体で、年末恒例の「忠臣蔵」にダブらせる

・私服を肥やす悪代官とそれを成敗する「水戸黄門」「暴れん坊将軍

これらをこの年末迫る時期を選んだと裏読みしたくなる。

 

ただこのような日本的心情をメディアが煽るのもわからないではないが、一方で日本企業の経営者の指導力・影響力の弱さとコストカットに罪悪感を持つ企業風土は、ゴーン氏が海外では経営者として未だ評価が高いことからも、ゴーン氏のグローバル企業のトップとしての実力はないがしろに出来ない。

日本企業のトップに欠けていて学ぶべき事は多い、彼流の「帝王学」が日本的心情にそぐわないとしても、完全否定して良いものだろうか? 

 

コストカットをゴーン氏にさせ経営安定後に彼をカットする動きは、グローバル視点では不条理で合理性に反するもので、コストカットはトップの仕事だし、日産に限らない話でそもそも日本人経営者の語学力や国際的ビジョンの甘さ、何より経営トップの決断力と責任の無さなどのリーダーシップやカリスマ性の欠如は、これからも日本企業のグローバル化にとって、大きなネックになるだろうことは間違いない。

 

この事件は筆者的には、多くの日本企業が目を逸らし積み残してきた、致命的な諸問題の提議として残されるべきものだろうと考える。

今回の日産で起きた不正と言う名の事件は、そもそも日本の企業が積み残してきた、業績責任への関わり方をトップでさえ場合によっては痛みを伴うコストカットを辞さないものを逃れてきたことにある。

 

だれでも責任は被りたくないものだが、トップが断行しない限り従業員も覚悟はしにくくなるのだから、共に痛みをとらなければ問題先送りと同じになるだろう。

この事件は単なる一事件ではないし、ゴーン氏個人にあるのではなく、日産そのもの日本企業全体に重くのしかかる課題として今後も残されるだろう日本企業のグローバル化に残る遠大なテーマであることを、忘れてならないことを最後に付け加えて、この案件のコメントを終わりたい。

 

最後に救いになるのは明るい希望もあるということ、ソフトバンクファーストリテイリング、ZOZOなどの経営者辺りから、意識の変化は起きているので、今後期待したい。