くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

承認欲求の加速が覆い隠す、平和の意味と畏怖

「戦争のない、平和な世界」だ、

さあ、安心して消費しろ経済的な豊かさを楽しめ!

今こそ、あなたの感性と才能を花開かせる時、

自分の枠を取り払って。主張しよう、表現しよう……

 

平和が後押しする今、

何かが、背中を押すように囁く。

この声の主は、フェアリーかゴブリンか?

はたまた、イヴをそそのかしたヘビの権化か??

いやいや、神様の導きか?

 

 

経済の実態を俯瞰すると、経済を活性化に利用されてきた「戦争」は、

武器による戦争はもはやトレンドではなくなったものの形を変えて、

今も世界中が戦闘が繰り返している事実が見えてくる。

 

武器弾薬による死はあり得ないとしても、

マネーによる死は今後も増加し、

人そのものを死に追いやる恐ろしい武器となる。

 

マネーの影響力によって、

私たちはモノへの選択肢は増えても、未来への選択肢を無くし、

厄介にも、マネーの仮想化はその実体化をさらに見えにくくさせる。

 

目に見えないマネーは、実弾のように私達の未来を狙っている。

平和が作り出す恩恵を、感謝もせずに当然のごとく先食いし、

本当の死覆い隠されたどろ沼にどっぷり入り浸って、

それをまるで黄金の湯に浸かっているかのように、

自分で自分を騙す毎日が繰り返される未来。

 

その姿をビジョンする人は、恐怖するだろう。

しない人は、歓喜し頭さえ沈めていくだろう。

 

そのどちらに幸せを求めるかは、自由だが、

平和な世界で生まれ育った者は、生の価値を曲解しかねない。

価値観の相違で片付けるには、安易過ぎるだけに、

自分の人生をそのどちらに委ねるかを、

いつも問い続けるべきだとは、思う。

「自分は、どの程度の者か」

飽食の時代に ”足るを知る” ことは、とても難しい技術だ。