公道モータースポーツの節度と、法を忖度する時代
もう、時効だろうから明かすけれど、この車には苦い経験がある。
AE86(パンダトレノ)のエンジン故障でディーラーに修理をしてもらってる間に、代車として貸し出されて使っていたのが、この兄弟車種の「ターセル・リトラ」だった。
当時田舎の実家から通勤で、山坂道の峠道を利用していて86の時は、バリバリで攻めながらの通勤を常としていた時代がくろまにもあって、代車でも見た目にたがわずどこまで攻められるか、数日試す日が続いた。
そのレンタル最終日にそれは起こった。
【やんちゃなトヨタ】カローラII リトラ トヨタのやり過ぎた傑作車たち(その8) - Webモーターマガジン
そう、代車で事故ったのだ。
その日朝いつものように出社のため家を出て、いつもの山坂道を登り、峠を越え下りに入った、若かれしくろまは昨日以上にちょっとばかり「攻め」ようと欲張った。
綴れ織りの下り連続カーブを1つ個目、2つ目とクリア、
「いい調子だ」
決して無理はしていないつもりだった、86よりアンダーが強く、タイヤグリップも弱いことは承知して走っていたつもりだったからだ。
しかし、ほんの少しだけ、左カーブをセンターよりに攻め、少しだけステアリングが遅れた時に、嫌な予感が的中した。
この車はご存知の方お分かりの通り、86とは駆動輪の違うFFという形式で、前エンジンは同じで駆動輪も前輪であり、結構な傾斜下りで前輪荷重が効いて、曲がりやすかったはずなのに、連日の負荷にタイヤがいつもよりグリップが弱っていたところに、滑りやすいセンターラインをわずか割っていたのだろう。
「これは滑る!」
と分かった時には遅かった。
そのまま車体は、グリップを回復せず、アクセルを緩めてスピードは落ちたがそのまま慣性の法則に従ってまっつぐ……。
全面クラッシュは間逃れたものの、対向車線側の溝にわずかはまって、側壁に前側部をこすってしまった。
ディーラーの担当者は知人だったこともあって、引きつりながら笑って、
「ちょうど廃車にする車だったから」
と無償で赦しくれたし、あくまで自損で、最小限の被害だし、そんでもって、
もう時効だし!……
言い訳はこの辺で止めておこう。
言いたかったのは、リトラのような「なんちゃってスポーツカー」は、
当時も今も、数限りなくある。
今さらAE86が人気があるように、行動で楽しめること自体が高いリスクであり、
決してやってはいけないことになった時代。
当時のように、自己責任で片付くような世相でない時代に、
ある意味、くろまたちは得したのだろうか?
ただ、少なくともいろんな経験の中で、違法の枠を少しだけ越えて、
リスクと自由を天秤に容易に量ることができた。
自分だけではない、
かつて、レジェンドの中嶋悟氏は、若き頃に岡崎の峠道でガソリンを運びながら、究極のコーナリングテクを磨いて、世界の中嶋になったという。
そんなリスクをとった上での自由が、昭和の時代にあったのだ。
だけどもう何年も前から、そんな空気は冷めてしまったように思える。
平成はその最たる時代だっtかも知れない。
今年はその平成も終え、新しい年号の年となる。
くるマニアにとっては、一体どんな時代になるのだろう。