くろまのパーソナル・ワークショップ

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国を・世界事情を掌握する者は、裁かれない現実を生きる

 太古より階級統治社会が形成される過程で、陰謀論者のいう社会構造が存在するのであれば、推し量ること自体無意味でありスケールデカすぎで、一般者が彼らの意見を妄想と考えても仕方がない。

ただ、ゴーン氏の進退の行方においても国単位で正義はいく通りも解釈される通り、「正悪の基準」は国の裁量の範疇であり、陰謀論者のように超越・抗う者が叫ぶまでもなく、

「世界は国単位でなく、別の単位で動いている?」

と考える人がいても不思議は無い。

 

 

例えば、某中東の王国という勢力圏に関わる暗殺案件で言えば、我々下々の者が見ればどう見ようと犯罪であっても、彼らのテリトリーを超えない限り「普通」となる。

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またある王室統治の国で、こういう経済的方針にあって本来EUという市民の目で見て一方的な特例も例外なく「普通」という結論になるということで、本来等しい共同責任の合意で結成されたEUでも王室采配は揺るぎも無い。

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先の万世の王国は基より、民主主義化した王室であっても、政治のトップメイ首相の声は王室の御意志の代弁なのかもしれないし、こうした事例から「殿下の宝刀」が日本でもありえるのか、考えも至らない人は多いだろうと思う。

 

しかし、ここで踏みとどまって欲しいのは、日本人の思考の傾向として「性善説」があり、戦後渡る世界経済封鎖や平和の長期に渡る時代を経て、未防備なポジティブ判断をする傾向がある点を、見失ってはならない。

 

国際問題を見る上で、メディアの報道姿勢からも私たちが日本は例外だと思って日本基準で判断しがちとみており、日本天皇の歴史に潔白さを疑わない人が圧倒的だが、一方でその思いに不義を図ったり、おおっぴらに言えない言動をする者も見られ、その是非が公に議論される場は無い。

かなり究極な事例をあげたが、ある一定のバイアスは避けられない中での言論の自由が自由なのか?

ともあれその自由は市民に担保されていると言われるが、その分少なくとも国単位で管理閲覧される自由も成立するだろう。

 

この関係が、どの国・どのコミュニティにも存在しうると考えれば、推測するにそこには、

ものの正悪を計る基となる世界経済や政治・宗教の歴史や成り立ちが、面よりも裏で(西洋慣習的に言えば「ロビー行動」)進められる「約束(握手)」で、これによって世界も日本も動いているという仮定は、十分成り立つのだろう。

それに抗うか従うかの是非の前に、それを知ろうとする行為は避けて通れないのではないだろうか。