くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

芥川賞は取れないが、純文学目線の自由な物書き

この目的で書いていることは一般でいう「日記」に近いと言われる。

それとの違いは「秘匿性」の有無。

 

加えて、SNSを商用に利用する人が「大衆文学的」とすれば、これは「純文学的」と表現してもいいかもしれない、定義として「文学」ではないけど、カテゴリー比喩としてはアリかな、と。

 

筆者も始めた当初は、結構筆不精でアレコレ余計な「書かない理由」をこしらえ、消極的だった。

それに、書く以上は読む人に有益でなければ、という変な使命感があった。

 

でも毎日書いていく中で、それもなくなった。

今は、それでいいと思うし、アレコレ使命感に思い悩んでいる書き手の思いには、背中を押してあげたいと思う。

 

たしかに、実直に使命感を全うし評価を受ける書き手も多い。

 

けれどそうでなくとも、

それ以上に毎日書いている書き手が、長続きしている秘訣は。

「思ったことを素直に書く」

これができているからに他ならない。

 

その自由を行動に移すのに、勝手に自分で制限をかけてしまうには仕方ない。

その思いは、身をもって共感できる。

 

でも、書かずにはいられない、書きたい思いがあるなら、どんどん書こう。

 

どうせ、最初は誰も読んではいないのだから。

居ないはずの評価を気にするには、機会ロスにしかならない。

 

評価されるようになってから、書く道義や使命を考えればいい。

 

そのムーブメントは、

やがて、言論の自由の証言として残ることは、動かしがたい事実だし、

それだけでも、足跡になるし書く動機となる有意義な行動だと思う。