ドライブマナーの認識と効果
ハイビームがデフォルトで、状況に応じてロービームを使い分けるのが今の法規だと、恥ずかしながら今更認識した。
くろまは逆の認識で、通常ロービームで支障なければそのまま。
危険だと判断するなら、どの場所でもハイビームにしていた。
法規遵守という観点より、経験から知る安全性を優先していたのだ。
よほど危険と判断しない限りロービーム。
対向車への幻惑の配慮が優先し、自社の存在証明は二の次というスタンス。
今も、そのスタンスは基本誤っていないと思うが、世の認識はその逆の傾向が強いようで、認識を変えなければ今後認識の相違による事故が起きやすくなりそうだと感じたので、シェアしたい。
最近急増中 対向車のヘッドライトが眩しい原因はこれだった!!! | 自動車情報誌「ベストカー」
言いたいのは、何が正しくて守るべきか?という、マニュアル式の正誤確認ではなく、今更事実を極解して柔軟な判断を否定するつもりはない。
事故を水際で防げるのは、現場の当事者だけであってルールやマナー遵守で解決できないという事実。
事故を防げたケースは、自分を押し出さず、一歩引いて行動できたときに成功するというのも事実で「お互い様」と言われるように、双方が注意して防げるもの。
それを怠った者の中に認めないウソつきを、それを裁けない法律やルールを利用した者が得をし、信用したほうがツケを食らう仕組みは、心して運転すべきだ。
ニュースを見る限り、前者が持ち上げられる姿勢が目立つのには閉口するように、加害者が被害者ヅラできてしまう限り、いくらドライブレコーダーで武装しても、ヘッドライトを高性能に変えても、被害者は保護されることはbなさそうだ。
人は必ず過ちを犯す。
それを加害者・被害者の括りだけでは裁けないし、準備したものが優位になる保証にもならない。
現実と責任を軽視し、利便性や都合を軽視した時点で、いつでも加害者になることを認められない人が、減らないというだけのこと。
自動車免許試験場に通っていた頃は、何度も言われた事で、その現実はどんな立場になろうと変わることはないし、運転した時点で平等に課せられる絶対条件。
車のハンドルを握る以上、事故の当事者になることを認めたのであり、責任をかぶらなければならない立場に、自分で金を払ってまでも名乗り出たのだから、お互い腹をくくってドライバーになろうじゃないか。
初心者みたいにビビりながら乗るのが丁度いいのだろうが、ベテランになればなるほど初心は薄れると言うのは、言い訳にもならないのだから。
これは単なる勝ち負けに参加する宣言ではなく、そのどちらになっても文句は言えないという覚悟でなければ、運転してはいけない、その契約に印鑑を押すことだ。
そのくらいのプレッシャーを課さねば乗れないほど、自動車は未だに人にとって乗り越えられていない道具なんだろう。