ツンデレ行動する異種と、異物扱いされてしまう珍種
理解しにくいテーマだが、極論すれば差別と区別の話。
仲良くしようと再三骨をおる隣国には、ツンデレと言えばカワイイが、
良いようにパシリ扱いされ、決別しない国
下の記事の絶滅危惧種が、カワイ(キモカワ含む)ければ情もわくが、
一旦「キモい」と思った瞬間から、
異物感をあらわにし、敵対し拒否に態度を翻す。
web.smartnews.com迷信のせいで絶滅寸前⁉「歩くマツボックリ」と呼ばれるふしぎな動物 (Catari(カタリ))
誰にでも当てはまる話に聞こえるが、この場では日本の話。
日本人が日本人を、ここまで蔑むのもどうかと思うが、日本に良かれと思うがゆえに最大のジレンマに触れてみた。
なぜこんな矛盾する行動をするのか? 考えた。
イイトコ取りかも知れないし、自分が一番優れていると、信じて疑わないのかも知れない。
人でも国家でも、反省の節目を持つ。
筆者も日本も、その節目を何度か潜ってきた。
それでも、幸福も不幸も関係なく止むことは無い。
その節目を「自分だけが」と思えば、
その分周りに転嫁したくなるのが人情。
生活環境や文化によって、転嫁する相手の見方は人様々。
その見えない感情を、異物に投影して凌ぐ処世術を私たちは編み出した。
それ故、その分余計な問題も増やしている事実。
これにどう向かうかは、残念ながら人によって違っている。
では、私は?
器用に付き合って、前向きに転嫁できている?
見失って振り回されて、それさえ気づけなくなっている?
そのジャッジがどうした? と言われれば、私は「別に」と応える。
しかしホンネは、
「それで良いのか?」と、
問い返したいのだ、その問い返しを自分に課すために。
節目を経ることで、
ツンデレで済まされない憤りから目を背けず、
異物を受け入れる準備と意思を持つ。
多様性に、正面から立ち向かう姿勢が、
ようやく育ち、身になっていくと感じられる。