技術革新と創造改革、その似て非なるもの
クリエイターの伝説として、亡きAppleの創始者スティーブ・ジョブス氏は、技術革新と想像の未来について、多くの人ヒントをもたらす存在ですが、くろまはいつもこのテーマを考える時に、コンピューターのそれに置いて比喩するのにジョブスとビルの2人の存在を思い出します。
これは今ではIT業界と言われるようになったジャンルでの話ですが、それ以外の産業においても同じことで、産業革命後の製品開発競争が目指したのは、製品の技術向上と製造効率の飽くなき精査にフォーカスされた歴史として、比較されてくることが多かったように思いました。
スマートフォンの同質化が進み、「奇抜な新機能」で挑むメーカーたち|WIRED.jp
今や花形プロダクトの、PCでもスマホでも注目されるのは「技術の進化の度合い」
であるし、子供が「これで来たよ!」と自慢げに嬉しがるその行動に似ています。
その技術の成長に注目が集まる一方で相似的に言われるのは、Appleの創始者が目指した「人の創造性を刺激する製品」との違和感であり、彼の信者たちは安易な技術の乱用には飛びつこうとはしませんでした。
それが、多くの人ガジェットマニアのお気に召すかは別としても、人の叡智の副産物で在るはずの工業製品の多くが、未だ人の生き方に「便利さ」には役立っても「刺激する」には至らないのは何故なんでしょうか。
日本でもGOOD・DESIGN賞を獲得するような「刺激的」なプロダクツは毎年出ますし、海外ではそれ以上に話題になっているものもありますが、それを含めてもそこまでもいたらない「一発屋」的な新技術が話題を追いかける風潮は、過去も今もそしてこれからも変わらないのでしょうか。
技術の進化は、ユーザー側の豊かさより業界側の都合への潤滑剤としてしか進化しないのかもしれないとため息が出ることが往々にしてありましたが、製品そのものを生み出す理由が、企業の売り上げ向上に在るかぎり買う側の求める理由と乖離するのは、仕方ないのかもしれません。
ただ、そのジレンマは開発者にとっても本意ではなかったはずですし、今でもその初志貫徹を目指して、大企業を捨てクラウドファンディングで実現しようとする意思がみて取れる以上、私たちは目先の技術アピールに目を奪われることなく、創造につながる道具作りから目を離してはならない気がします。
プロダクツの歴史を今さら振り返ると、
ビル・ゲイツはPCを通して、効率的なビジネスモデルを追求した点で評価されました。
スティーブ・ジョブスは、理想的な創造性を追求した結果、ものづくりの意味と奥深さを、Appleブランド製品を通して教えてくれたのかもしれません。
そのどちらも、私たちには有益なもので在るのは間違い無いですが、モノや考え方にこだわるのであれば、くろまは特別信者でなくとも後者を選んでしまうし、そのスタンスがマニアだと言われるのなら、それに甘んじたいと思っています。