くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

中華思想カイゼン無き未来の●●と、エヴァ「結」延期の相関性

エヴァンゲリオンのクリエータ庵野秀明氏と同世代の人々は、筆者に限らず「間(はざま)世代」の文字通り「どっちつかず」時代の板挟みに思い悩んで来たように思う。

 

彼の思いと、筆者の思いを強引に重ね合わせるつもりはサラサラ無いが、否応なしに帰結のベクトルが似てくるのはなぜか。

一つ言えば、私達世代はコミュニストの思想に最後に触れた「間の時代」を生きた世代だからではないか……。

 

 

……さて、

次世代の経済社会を担う争いは、米中貿易戦争に端を発して主義を超えた実弾無き戦争の幕を上げた。

 

その一方を担う中国政府のスタンスはブレが無く、中華思想で一貫しているが、筆者の解釈にズレが無ければ、中国政府と関係を持つことはそれが国・企業・大学とのそれに関係なくその末路は、

 

選択肢無き「未来」の完全なる殲滅

 

に変わり無く、それはコミュニストの理想形であるが、わかり易く例えれば、それは「カマキリの社会」そのものであったと気づく。

一匹のメスカマキリが君臨するためだけの社会、そこに共存は無く、別の比喩なら、映画エイリアンで見たクイーンの雄叫びが鳴り響く、極めて一元的な近未来のビジョンしか示さない。

 

つまりそれ以外の者が生きる選択肢を残すには、中華思想の起承転結の「結」がカイゼンされ、

永久破壊から共存創生へのストーリー転換がない限り、中国政府の政策にあやかろうとする者への未来は無いと、言い切れる。

 

誤解の無いように断っておくが、ここでは中国人民たちに罪は皆無であり、中国政府の独裁性を叩いているという点は明確にしておく。

 

そんな思考や人権が侵される社会が現実にならないように願いたいもの。

これを以て、今迎えている時代の「間」に、

表題の丸を黒丸で隠した意味を、飽きるほど考えてほしい。

 

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こうした考察を重ねるうちに、ふと思った。

 

遠大すぎるテーマを背負った「エヴァンゲリオン」の、

「結」に当たる最終章を庵野監督がなかなか出さないのは、

もしかしたらこれら世界情勢の「結」が見えない時代への、

ある意味迷いなのかも……と。