働かずとも暮らせる日本国のファイナンス力
いわゆる国のバランスシートとも言える、個人でなく国家のファイナンスについて、国民が働かなくとも国の資産運用のプラス化で、国が国民を養えるという理想が実現している国は実在するわけですが、日本がそれを実現できるかできないか国民が望むか望まないかを具体的に国から問われたことはなく、そもそも……
この理想的な国の在り方と可能性は、一方通行の欲求だけで実現するものでなく、政府のファイナンシャル能力もさる事ながら、国民の高い社会意識と義務遂行能力も同時にできて成り立つ共同作業の結果であり、その点で日本はスタートラインにつけていないかもしれない。
日本にとって社会福祉で羨望の北欧の国や、後進国であるはずの東南アジア諸国が先にその理想を実現可能にした今、必ずしも石油資源や人口の多さに頼らずともその切符を手に入れる事が可能だと証明されたわけだ。
この成功例に共通するのは、むしろミニマムな国家規模を生かした効率的な国家の資産運用と、分散投資せず一極集中して自国の優位性を伸ばした国が資産をプラス化できたことを意味するが、日本はこの点において過去現在ともむしろ分散させてしまった結果が、今に繋がっているようだ。
今後その轍を踏まず一からその可能性に再トライしたとして、実現のチャンスはあるだろうか?
結論は未来にある以上誰も見通すことはできないが、国そのものに成功国と同じ条件は持っている日本は、つまるところ国民の総意と実行力次第ということになるだろう。
つまり政府に他力本願せず、複利のメリットを学び、個々にできる優位性を伸ばす。
国民の多くがその地味な努力を続けられる覚悟と自負が持てるかどうかにかかっているが、まずは博打好きな性分を正し散財せず、単に無計画で漠然とした貯金を止めて目的に沿った貯金に変え、お金を稼ぐ背徳心を捨て前向きに稼ぐ。
その規模がたとえ小さなものであっても前進であり、その結果や実績がファイナンスの自信につながり、義務へも正面から履行すると当時に国へも堂々と予算へ要求ができるようにしなければならない。
その地道な前進こそが、日本流の突破方法であるように思う。