時の人のたちの存在意義
女性環境・人権活動で知られる、マララ氏
国家的諜報陰謀をリークする、アサンジ氏
前者は評価され、後者は冷遇される。
一概に、両者を比較出来ないものの、我々にかけがえの無い気づきを与えてくれた点を考えれば、そも存在意義と価値の大きさに差は無いはず。
アサンジ容疑者の身柄、イギリスはアメリカに引き渡す? - BBCニュース
どこから、その差は生まれるのか?
我々は、それぞれの生活習慣に合わせて「区別・差別」しているだけに過ぎないことがわかる。
それどころか「どーでもいいこと、他人事」と分別以前に、切り捨てている。
その無意識の中で、彼らの存在意義はおかざりでしかない。
さらに驚いたのは、一部の陰謀者だろうが、マララ氏でさえ「所詮はセレブの上から目線な行動に過ぎない」とこき下ろす向きもあり、日本は本当に平和な国だと思う。
詳細はSHOSETUあるにしても、彼らの存在意義は自分の有意義な活用と行動に生かすかどうかは、結構平和ボケした我々にとって重要であり不可欠。
ここで大事なのは、最も影響力の高い目の前の問題と、彼らの知恵をどう反映させられるかのスキルをもてていること。
深く感銘したことを、その時点で結了させているなら、感銘の意味が無い。
無意識な感情や行動が、自分をどう動かしているか、意識するのは意外と難しい。
彼らからまず学ぶべきは、それぞれの感動するメッセージではなく、
彼らの実践する意識化スキルの高さと、バイアスをものともしない行動力。
最近の日本は無論、おそらく海外先進国でも同様に「情報氾濫」と「情報の質の偏差」は著しい時代になった中での、判断力はすでに個人のスキルに頼らざるを得なくなっていて、その傾向は後進国にも及ぶとされる時代。
現れる情報化時代にニュータイプの出現はあるのだろうか?
それについて、私たちは何を学びとり、何について大いに行動に繋げなくてはならないのかを、日本の平和主義と一緒に考えていかなければならないのだろう。