くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

人の生への倫理と現実

中国では、国家をあげて生物倫理を無視した、優秀種の「クローン」を作り出しているが、この国家は共産思想をベースにした簡易資本社会であり、かつてはあっただろう、生命尊重の倫理も無神論の立場で宗教意識もない。

その結果、この国は他国民だけでなく自国民さえも「物」と同一視され、他国なら常識の生命倫理も重んじない分、人体実験さえ躊躇なく実行できるし処罰されることがない。

 その分医学的な分野での技術進歩に歯止めをするものがない分、最先端を走ることができてしまうだけに、世界の警戒感は尋常ではないだろう。

 

そんな中、中国をのぞいた医療先進国アメリカでは、民間の大学で倫理に配慮した生命維持に関わる組織再生の研究が進んでいるが、その最先端技術研究においても倫理への配慮派痛ましいほど徹底している。

 

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死んだブタの脳の細胞を回復 脳死と倫理ゆるがすか?|ナショジオ|NIKKEI STYLE

 

そんなアメリカでさえ資本経済社会の宿命は、延命や個性尊重の是非が論議されることなく、スポンサーの意向に沿って続けられている現実は無視できない。

 

人は、良くも悪くも自分が生きるために、あらゆる知恵をはたらかせてきた。

 

経済理論や医学技術論もそう。

それらは事前承諾のない大量の人体実験の末に構築された歴史事実がある以上、今更倫理という綺麗事が、どれほどの説得力を持つかは甚だ疑わしい。

 

人は、その多大な同胞の犠牲を踏み台にしながら、所詮倫理を真逆にするような、個人の存在の正当化を、合法化しようとしているだけではないか。

 

その先にあるのは、民主的な合意による進化とは似ても似つかない、合理的で生産性優先の無機質な進化でしかないのかもしれない。

 

思考の自動化は『AI』によって実現している、あとは行動の自動化を医療・工学によって第2の肉体が手に入れば、人は必ずしも人で無くとも生きられる条件が整うことになるが、そこへの最大の壁は「人の倫理観」なのだろう。

 

人の林間の根底は、自分の生が不確実だったからこそ、創造的な思考と生産的な行動を続けられてきたが、この先確実な生が保証されたあとの人は、何を糧に生きていくのだろう。

そこに生きる意味が在るのか無いのか、それすら無機質な未来の姿を、医療をはじめとする最先端技術は、私たちに見せているようだ。