くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

「小さな政府」は、民主社会でできる特権、だからどうする?

なぜ今、衆参ダブル解散選挙ぉ?

そこには大義はあるのか、不在なのか?

 

対抗できる野党不在で、国民の期待もない、今解散の意味・権力固めの大義はある

 解散の流布は、霞が関のパワーバランス再編を進める好機だからな。

 

節目だとか、安全だから……政治ごっこなら、混乱と撹乱を招くだけ。

国民も受け身で左へ右へ。政権の予想合戦やお祭り談義に花咲かすよりも、それぞれ情報をリセットし、日本があるべき姿を一人一人が再確認した方がいいかもしれない。

 

事あるごとに、物事を複雑化させようとする傾向に振り回されず、最も重要な核になることは、

民主国家・社会を保証している以上、有権者・国民が固有の

 

「小さな政府」

 

で居られる事実であり、その行使の自由が日本にはあるということ。

平和主義に流されやすい私たちの性格もあるが、極論言えばデモでも革命でも必要とあらば、行使できる国。

 

ただ、そこに「あるべき論」はむしろ印象操作や偏向誘導のタネを作るだけ。

言うべき意見は堂々と言う、

その前に相手の意見は認めたうえで、

尊重するか反論するか見極める知恵と行動力は磨かなければならない。

 

それをせずして、主張を通そうとする大人が多ければ、しなくていい犯罪につながる悲劇が待っている。

 

「なんで、こんな事するの?」

 

その答えはシンプルで、それができてないうちから行動しちゃうから。

それができる前提で実現できる「小さな政府」「ひとり国家」

自由な行動には、相応の自覚と責任がセットになるから国家。

 

あれ??? 日本政府に言ってるんじゃ無いのに、個人・国民に言ってるハズが、

国家に意見してるように見えるのはなぜ?

 

 

民主国家での「小さな政府」「ひとり国家」では、

正しい行動をするのも自由、

間違った行動をするのも、これまた自由。

逃げ得する者は、自分が病んでいく自覚を持たない。

 

成人なら自覚しようよ、覚悟しようよ、

それが大人対応と言うこと。