人への価値の変化と、来たる未来の現実
敢えて、些細な変化の記事を示した上で問う。
近未来を舞台にした小説や映画で、何度も目にする人の価値の低下は、どの程度に収まるのだろうか。
人間の遺体を堆肥に 米国内で初めて合法化 - BBCニュース
おそらくこの課題の影響を受けるのは、上でも20代以下くらいの世代で、人生100年時代が実現すればもう少し上がるかもしれないが、遅かれ早かれ出くわす現実なのだろう。
中国政府による自他国民への扱いはとてもわかりやすくて、既に人の価値はモノと同じで中華思想が何より優先されている現実が、今起きている。
倫理を重んじる国政府でも、中国優勢となればその思想は加速する。
陰謀論者の間で囁かれる「人口削減計画」が真実かどうかは別として、近未来SFの社会が少しづつリアルになっている印象はどこから来るのだろうか。
重要なのは、なぜそうなってしまうのか?
と言う問を他人事にせず、自分の行動に反映させるかどうか、
そのリスクを背負う、とても地味な話が理解できるかどうかだ。
間違い無く言えるのは、
「はぁ?」
とか言う無関心な人が多ければ多いほど、実現の確度は高まると言うこと。
人が人や架空の生物らを最新のテクノロジーで攻撃し駆逐するファンタジーでも、最近のリアルなCGでの再現性が、無意識に攻撃を正当化させる。
人体への機械化導入(遺伝子操作も含む)の容易さ・正当性を暗に自然に説明する流れが増えたことで、人が本来の肉体での存続にこだわる必要が無いと諭すこと。
人が本来の絶対的存在では無いと、自然や動物の情報を介して徐々に軟化させていくことで、人の考えた価値観・倫理を弱めること。
これらの例は、音や映像・触感などを様々加工・操作できる技術は最近特に発達し、遠隔で臭いや行動まで操作可能な触覚技術の低価格化は、人がもっとも頼りにしてきた直接的な感覚への信頼性が、絶対的な価値では無いと思わせてしまう。
脳科学研究の発展・進化で、良くも悪くも「人を騙す=脳を騙す」のが、最も有効だと証明されてしまっている以上、その豊富に進化した手段も複数の組み合わせで、人の満足感は必ずしも自身の肉体を介さなくとも得られるという気づきは、果たして悪魔のささやきか、天使のささやきか?
その答えは、じわじわと人の気づかない領域で、既に表され始めている。