時には正論を疑ってみる勇気と行動が人の成長になること
弱きをたすける、誰もが正しい、称賛を絶やさないし、幸せに生きる上で不可欠な行動。
が故に一方で強きを徹底的にたたく行動とはまた別の行為でもあるはずなのに、まるで弱いものをダシにして、愚痴や不満の吐き出しに使うものも多い。
日本より、韓国の方が多いのはどういいう経緯かはここでは語らないが、顔が見えない分、その表現がエスカレートするのは、仕方のないことかもしれない。
2019年にSNSでできなくなったことまとめ。去年までできてたのが不思議な気もする… | ギズモード・ジャパン
ただ、賛否両論を恐れずに言えば、一方で競争や淘汰という自然の摂理や原理に逆行すると見ることもできる。
差別はダメだ、多様性を認めよう。
これもある意味、人の一歩的な都合による欲でしかない、とも言える。
正論を盾に物言いをするのに酔ったときには、疑いをかけたほうが、結果的に有意義な結果につながることは、以外に多い。
顔が見えないだけに、炎上を抑えるために、SNS独自の暗黙のルールが作られた結果、SNSはさらにややこしくなってきている。
それでも、便利で情報伝達の速さはむしろ私たちに多くのメリットを生んでいる限り、これからも進化を続けるSNS。
これからの書き込みは、書いた分だけどれだけの責任を持てるのか、書いたことによって、AIによって集計され、評価分別され、顔は見えなくとも、その人となりは明らかにされていく。
その事実に何人の人が理解して、書き込んでいるのだろうか。
SNSだけいい人になる時代は、とっくに終わっているのだから。