ヘイトの後ろに現れるリベラルという名のトラップ
いつの頃からか、世間で出回るようになったリベラルという言葉。
国内では様々な用途で使われるが、乱用甚だしく本来の抽象的な概念も手伝って、
都合よくクリーンなイメージ定着に利用されている印象が強い。
日本では、政治で頻出するこの言葉は自民与党の独裁政治に歯止めをかける民主系統の新党によって普及した一種の世直し呪文のようなキーワードに見えた。
この呪文は反自民の思想の象徴のように、平成初期にブームを起こして普及したが、この言霊のイメージは同時に差別や格差への救済の代返者の肩書にも使われた。
アメリカでも共和党と民主党の図式によって、人種や宗教格差をことあるごとに混ぜ返し、景気やマンパワーを奮起させてきた。
ついに黒人の本丸に攻め込んだトランプの大博打 再選へなりふり構わない姿勢に米国の分断は修復不可能(1/6) | JBpress(Japan Business Press)
日本でも少し使われ方が異なるのと最近民主派政治家が低迷しているせいか、効力はイマイチだが、中国韓国の影響がそれを代弁して、同様の効果を起こしている。
ヘイトとは抑圧の象徴で、リベラルはその救済の象徴と見れば、政治家や評論家が好んで使うのは分からなくもないが一方で、現実の醜悪さや事実のすり替えに利用されだし、そろそろ流行もすたって形骸化している。
見なければならないのは現実であり、リベラルで掲げられた理想は、単なる現実とバランスを取るための鏡のような虚像なのかもしれない。
その姿はかつて資本主義と争った共産主義の元凶となった「」と似ているのは、単なる偶然ではないだろう。
現実には人は存在できる、しかし虚像にあるのは、唯物的で非人間的社会への理想追求があるのみである。