敵か好敵手か?中国のどこを見るべきか。
筆者は基本中国政府が嫌いである、と言うよりそもそも日本人の思考とは根っこから相容れない程のかけ離れていて、理解できないというのが本音だ。
しかしながら、関りが少ないが国民はできる限り信頼したいと思うし、今アメリカから経済制裁を受けている中国市場が未だ完全にギブアップしていない点は、ガッツがあるとも思っている。
中国機、海自の護衛艦標的に訓練 探知能力秘匿を優先し政府非公表 | 共同通信
中国政府は、相変わらず我が道を行く行動に徹底しており、日本に対しても執拗なまでの抑圧を続けているし、韓国・北朝鮮政府を利用して日本の言い分をひっくり返そうともしている相手だけに油断できない。
その一方で、日本がかつてアメリカ率いる連合国との戦争に引きずりこまれ、それにまんまと乗った挙げ句に屈した事実を思い返せば、一国の覚悟としての一貫性は見るべきものがあるとも評価している。
もちろん、その一貫性を保つのに、日本は資源が余りに乏しく、中国は潤沢だという決定的な違いはどうにもならないのだが、それをごく一部の精神志向とそれを煽るメディアによって、後悔しなければならない事実をつくった点で、今でも納得のいかない日本人は少なくない。
我々が歴史に学ぶ事は、時代ごとの信念を汲んでするべきで、今の意識感情を基準に学べば、間違いなく過ちを繰り返すことになる。
過ちとは、覚悟もしないまま行動させられることであり、
知ったつもりで正論をぶちまけるのが、正義だと思い込む自分ではないか。
陰謀論が蔓延するのは、わかりやすいものに原因を擦り付ければ済んだり、
解決しようとした気になれる短絡さに慣らされているのかもしれない。
たとえ結果がそうであったとしても、結果へ導く工程でオリジナルの思考で導いたのでなければ、それに覚悟も責任も起こらないという現実。
自覚の無い結論は、陰謀論者の怪しいそれと何ら変わりない行為でしか無い。
中国の行為は、あるバイアス思考で言えば明らかに悪質だ。
ただ、その行為に生産性があっても無くても、
生き残るために覚悟を決めた以上、それを赦さないと決めた側も、
覚悟ある行動がなければ、過去に付き合い方を誤ったアメリカに加え、
アメリカと中国、ダブルスタンダードの図式を認めることになる。
だからこそ、中国に学び、与しない姿勢が大事だ。