在るかのような幻を見ると、誰もが逃げる
資本主義貨幣経済に沿った目線で、香港の覆面法を見れば、命を守るために国にとどまるのではなく、自己資産カネと地位を守るために国外へ出ていく者が必ずいる。
災害や暴動から生命の危機を回避するために、脱出するのとは明らかに異質な富裕層の国外転出は自身の資産は守れても、人生の希望までも担保できる行為なのだろうか?
筆者が、小松左京氏の「日本沈没」で心に刻んだのは、たとえ命を守るためとは言え、生まれ育った国の消滅を、わが身を割かれる思いで国外に離散させられていく国民の姿や、あえて国ととともに人生の最期を共にする人たちの姿だった。
その小説のように、日本は沈むことなく今でも平和と平等を謳歌できる国として存続しているが、小松左京氏がこの作品で危惧したものは、根っこを絶った「根無し草」への警告と、試練への向き合い方を問うことだったのだろう。
この行為が正しいかどうかは、歴史が終わってみないとわからないが、たとえ災害でなくとも、お金が基軸で回り身分保証される社会では、私たちにとって、生まれ育った国の誇りとか文化への自負などは、とるに足らない見栄や飾りに過ぎないのだろうか。
【香港デモ】 富裕層が「ゴールデン・ビザ」取得 海外移住視野に - BBCニュース
資産運用系のSNSや動画で、資産増やして海外移住するなどの自己実現をモチベーションにすることが、ある一定の層には憧れになっているし、その自己実現が悪とかいうつもりは無い。
また、香港で起きている市民運動ばかりがクローズアップされる中で起きている事実は、移転の夢を目指す人々に、正当化のチャンスとなる。
一方日本では、慣習的に表向きには大金を荒稼ぎするのをタブー視する空気が残っていたり、または出る杭は打たれるもので、馬の生目を射抜いて人より経済的に前に出て、行動の自由化を得るにはまたぐべき敷居が多くある。
その反動で憧れる人や、実際に能力がある人にとっては当然の帰結でもある以上、選択肢のひとつであるのも否めない。
真にリッチで今でも移転可能なものはまだいいが、やっかいなのは目処がついていない努力家が、周りにつられたり後先考えず在り金抱えて、祖国を逃げていく衝動的行動が、起きかねない懸念だ。
前者と後者では、その後の運命は雲泥の差となって出るのは明らかなのに。
あくまで、その場の判断は自由社会の基では個人の判断であるも、同時にリスクフリーであり間違っても動物的な判断で行動するのを避けたいものだ。
人間は、普段どんな綺麗事や理性的であっても、
修羅場では、「誰でも、逃げる」
そういう生き物として創造されている以上、
それでも自身の一生を全うする試練を与えられていると、信じて、
創造者の要素を受け継いだヒトとして、生きたくないだろうか?
それは、宗教を持たない日本人にとって、個人裁量に任されている今、
常に自分の言動のタガとして、問い続けなければならないのではなかろうか。