くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

日本人こそ身につけたい、自己中な生き方

日本がまだ資本主義圏に属している幸運、それはまだ身の振りが取れる裁量の余地が残されているということ。

 

参照記事の内容にあるように、日本は資本主義の国で、まだ個人裁量が認められているにもかかわらず、これを利用しもしない消極的な人が多すぎる国でもある。

 

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日本人の9割がわかっていない「資本」の本質 | ワークスタイル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

日本の多くの働き手が、ホワイトカラーのステイタスと安定神話にこだわり続ける以上、独立するメリットを理解しにくいのかもしれない。

 

そもそもアメリカや東南アジアのように、学校教育の段階で資本や経営、お金の正しい学習をしていないため、独学で気づきを求めない限り死ぬまで知らずに終わってしまったり、普通と認識してしまう人が多いのが問題かもしれない。

 

これらを知ったうえで、あえてサラリーマンを続けるならまだしも、選択肢を持たずに意外にコスパの悪い雇用だけが仕事と思い込むのは、自己を過小評価し過ぎというものだろう。

 

また日本人の性で、チームプレーや連帯責任を好むのも障壁になっているかもしれないが、自己中は言い過ぎでも他人より自分に軸を構えて生きるのに、何の罪の意識を持たなくても良いのではないか。

 

資本の一つに自分自身を加えるというよりも、まず他人寄りになりがちな習慣を、少しづつでも自分寄りに意識するのは、一部を除いて日本人の多くは強く意識することは資本主義社会に生きるものには最低限の姿勢。

 

軸を自分に寄せる姿勢と意識は、資本を見出しそれを運用するのに効率よく進めやすくするのに武器になるが、その経験値を増やせればその価値を実感するはず。

 

現実的に金が資本と認識した者の中には、それだけでは増資に繋がらないことがあるが、資本とすべき要素は他にもあって、その意識によっては価値観の創造に役だつ。

 

この一見遠回りが、結果的には金の増資につながり易いと、後で実感することも多い。

これは、見聞するだけでも多くの成功者がもれなく体験していることなので、間違い無いだろう。

 

人によっての資本が、金であってもそれ以外であっても、得られるインセンティブは等価であるはずで、その時点で自分に軸を移していないとブレて効率が下がったり、モチベーション低下につながってしまう。

 

軸を維持するのには、何をリスクとするのかしないのかの、切り分けと責任が必要でその自覚に慣れるのが最もハードルが高いだけに、そうした環境を作って慣れさせた方が早道だろう。

 

自分の裁量が取り易い段階ほど有利であるのは言うまでも無い。

自己決定がしやすいうちに、と言い換えても良いが、例えそうでなくてもそれを言い訳にしても得にならないので、そういう習慣からは少しでも早く抜けた方がいい。

 

軸を自分に寄せる行動で、自身が何を学ぶべき掴みやすくなり、継続にもつながるし、自由と資本の裁量の多様化に、集中するのにも大いに役だつので、よかったら実戦してはどうだろうか。