くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

この環境提議に隠れたおぞましさ

この決まり文句が、言い出しっぺ国のご都合でしか無い証拠は、欧州界隈の国々が軒並みノルマを達成したことになっているのに、日本だけ殊更未達成と扱われている図式には、問題があると見ている。

 

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しかも、日本人の中にも、自国の努力を全く評価せず、それどころか無能呼ばわりする専門外の者が声高に物申せるのは、どこかの左翼同様に、日本の自由発言環境の乱用でしかない。

 

赦せないのは、純粋な正義感を持った子どもたちや、思いつめやすいこの少女を、アイコン(象徴)のように利用する大人の醜悪さ、空気のように利用する厚かましさが見え見えなこと。

 

CO2削減には疑問を提示する意見も増えている、少なくとも圧倒的なCO2排出を最も起こしやすいのは工業排出ではない以上、日本が殊更責め立てられる謂れは無い。

 

もちろん、長期的には削減努力を目指すのは、人間の義務だとしても、ここまで短期で無理ゲー押し付けられても迷惑でしか無いし、環境悪化を問題化して得するのは、ごく一定の企業団体だけである。

 

そもそもこの一種のバッシングは、日本で京都議定書が締結されたことに由来していると考えられるが、これを誘導した国内外の要人の体裁を正当化する行為に過ぎないと考えている。

 

加えて、今から思えばこの締結はある意味、いま韓国からたかられる図式と何ら変わりないのではないか。

 

こうした一連の議題や講義が起きる原因や課題は、本筋と全く関係の無いところに隠される、そういうシチュエーションを思い起こすことは無いか?

 

人は、一度決められた事から、修正よりも後に引けなくなる事が往々にしてあるが、こうした状況を確信犯で仕掛ける輩が、少なくないという現実だろう。

 

人は間違いを起こすが、あとで修正して良いのだ。

 

それができない、しない、させないのは、正しい事より利害を優先しようとするからに他ならない。