くろまのパーソナル・ワークショップ

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防衛力の強化と企業利益のバランスと確執

丁度良い話題を解りやすく解説してくださっていたので、紹介させてもらいながら、表題について書くことにする。

 

www.youtube.com

https://www.youtube.com/watch?v=6KuApaT9YU0

 

子どもの世界で善悪を判断するだけでは、実際の現実は極めて複雑で大人の事情が様々絡んでいる以上、日本の競争力を示す盾になる防衛力の補填は、安倍政権が掲げる通りに、結構緊急課題になっているのは、ご承知のとおりだ。

 

 国産技術を独自に進化させるのは、日本人のお家芸であるし、この成功実績が、多くの先進国の驚異と妨害にあった現実からもはっきりしている。

 

日本人の優位性をここ30年の間に、私達は様々な方法でウヤムヤにされ、遠ざけられてきたが、それを数字が証明している事実もはっきりしている。

 

この事実が結実する、合理的な選択肢は「成功の原点」に帰ることではないか。

 

戦前前までは、経済的政治的に世界の頂点に君臨するまでになった原点に、日本人は戦後の汚点を強調され自虐教育を受けた。

その仕掛けたとされる戦争でさえも、真意は侵略で無く列強からの開放運動だったことからも、方法論は賛否両論あっても、趣旨は決して恥ずべきことでは無かった。

 

この日本人の先達が描いたグローバルな戦略は、正論であり今主力の正論とは乖離していることを思えば、私達は遅きに失したたものの、今からでもその伝統を引き継いで、いつか成就する日を迎えるまで生き続ける価値はあるだろう。

 

優秀さ故の奢りと傲慢な行動が、一時的に叩かれたことへの反省は必要にしても、全てを彼らの思惑通りに肯定する義務は全くないのだから。

 

その静かな初志貫徹の行動に、誇りと使命感を持つことは、自衛の拡張をすることとは相反しないはずだ。

現に、自衛隊の行動が示している通り、日本の防衛力はその判断力共に世界の最高水準あるだろうし、これは自他共に奢りでも傲慢でもない。

 

掛かる火の粉は、自力で払わねば、いくら正論を通そうとしても、活きることはないのだから、統制された自衛ノウハウは、平和の継続にむしろ不可欠で広めるべき行動の理想像と言えないだろうか。

 

私達は、過ちを行動で示している。

 

ドイツのように賠償金で償っている、それはドイツが侵略した先進国に償ったように、統括した周辺国への償いもし続けたのだ。

 

戦争の勝ち組からすれば、更にむしり取ろうとする気はこれからも変わらないだろうが、たかられる者がそこから抜け出すには、自分を守るスキルを磨くしかないのだ。

 

その精神的な平等意識は、世界最長を誇る実績で支持されてきた、天皇のもとに暮らすものは等しく平等であり、その平等の象徴が天皇制である事実から来ていることを、再評価すべきだ。

 

その事実を最も驚異し、戦争という事実に追い込まれ、その罪をドイツと日本に追わせ、それを理由に天皇制を排除しようとする戦術こそが、第二次世界大戦の真の目的だったのではないか。

 

私達は、歴史解釈をフィルターの無い目線で、それぞれが学び直さなければならないだろうが、その根幹のアイデンティティや自律を失う危険から、早く逃げなければならない。

 

その遂行ににどれだけ自己資金をつぎ込もうが、他国にあれこれ言われる筋合いはなかろう。

そして日本人として生きるには、国内にも他国のカネで動く同胞が多いことへも自衛しなけれならないだろう。

 

周りの全てが同胞でなければ行動できないのは、国際社会にそぐわない。

同胞とはより一層協調し、そうでない者とは一定の距離をとって共存する、これは簡単ではないが、バランスの取れた日本人には本来できたことなのだ。

 

もう時代遅れかもしれないが、間もなく忠臣蔵の季節になる。

 

大石蔵之介の無念に反旗を翻すその真意には、仇討ちという一見問題視されかねない要素が見え隠れするが、仇討ちとは当時の江戸幕府が独裁では無く、血筋を公平に認める緩和策であったことを知れば、今でも多くの人が共感できるだろう。

 

サムライスピリッツだけが、日本人の美学ではないのだ。

 

謙虚に自然を神として崇め活かそうとする精神は、天皇の寛大さによって保護されてきた日本人の特性だった。

 

未だ国内に、天皇制の不平等を指摘する声はあとを絶たないが、千年以上続いた事実は、天皇の影響力が国民にとって単なる権力強制だったかを疑問視させるには十分な根拠にならないだろうか。

 

権力の執行者は、時には幕府であり、政府だったが、彼らでさえその天皇の存在を何一つ侵そうとしてこなかったのはなぜなのか。

 

この答えは、外部から入ってきた最新の理論であっても、科学であっても解明されるものではない、むしろそれらは私達から適切な判断力に逆行する役割しか持ってこなかったのではないか。

 

その疑問は合理的に考えても解る通り、他国にとってその正しい答えが驚異でしか無く、無益なものでしかないことからすれば当たり前のこと。

それをそのままありがたがる姿に、不自然さがあって、日本人の本質を考えるとき混乱をもたらす事になった。

 

では、私達はどうすべきだろう?

 

決して筆者は宗教信者でないし、むしろ積極的に排除する者だが、そんな無機質な人間であっても、日本人に生まれた以上その意味と結論にこだわらずに、世界を渡りあえる自信が持てないのだ。

 

人は本来からして独立しているはずだが、しかし独立を証明するために自分の立ち位置を証明しなければ、独立性は認めてもらえない。

その現実がある以上、天皇制の養護の元で生きる日本人の可能性と、存在意義を問い続け無ければならないと、考える。