日本刀に込められた災難と誤解
遠く離れたイタリア、ルパン三世アニメが人気でもあり、日本の高感度も高いはずのこの国でも、日本刀は世界を戦争に追い込んだとされる国粋主義の象徴でしかないのか。
イタリアでネオナチ一斉摘発、「かぎ十字」の旗や日本刀を押収 写真9枚 国際ニュース:AFPBB News
遠隔の地ヨーロッパでは未だ、サムライ富士ハラキリ芸者程度の日本観しかないのかもしれないと思うと、脱力感しか沸かない。
ネオナチという国粋主義者と同列に、日本伝統技術や精神の根本を象徴する刀があげられる理不尽さ、これが認識の限界なのか。
おそらく某作家政治活動家の自刃イメージが強く、そこにつながったのだろうが、一種今の欧州税の意図的プロパガンダととも邪推したくなる。
弱り細ったイタリアの名前で、欧州悲願の環境問題に背を向ける日本へのさやあてなのかもしれないが、この点でも誤解はあって、ポリ袋大量消費国でCO2削減に協力的でないという態度だけでしか判断されていない。
CO2増加は、人間が出すものより他の自然要因が圧倒的大きいという意見を無視するスタンスは、彼らの意図が真に地球環境の安定より極めて私的なものであることを示唆していないか?
アメリカがそれを無視するのは、科学的根拠に基づいていることを、全く受け付けない頑なさは、なぜ子どもたちに知らせないの?
その固執こそがEU存続の唯一の生命線だからなのかもしれないが、日本は日本で技術力で環境関連の貢献を他国より多くしている、その機器システムを受け入れないのは、単にエゴと選り好みでしかないのではないか?
環境問題は、情報操作だけで解決されるほど甘くは無いし、単に環境エネルギー設備おっ建てれば改善されるものでも無いんだよ。
実際に欧州でその辛酸を舐めているにも関わらず、その轍を二度踏みするのだろうか、未来を担う子どもを看板に使って。
刀は、日本の技術力がどれほどに精巧で緻密で、実用的化を理解して初めて日本刀の意味を語っているんだよ。
それをくだらん印象操作で、反欧州思想の象徴に使うとは、片腹痛いお話だ。
こうした日本の歴史文化の誤解釈は、これからも止むことは無いだろうが、この傾向は決して日本だけがその矢面に立っているのでも無い。
誤解する側にとって、その正誤などとるに足らないものなのだろうし、単なる鞘当てに過ぎないだろうし、自己満足でしか無い。
重要なのは、私たちが加害者同様の心理に同調し、本来誇るべき良質の思想や文化を自らが捨てていく愚行に走らないことだ。
かつての日本人は、西洋文化に憧れ、真似ながら彼らをステイタスとして崇めてきた。
今の発展途上国がそうであるが、彼らはある一定の発展をもって独自の進化に切り替えようと努力している中で、私たちはいつまでかぶれてていいのか、自国の誇りを国粋主義者と同列に扱って、犯罪者同然にされた日本の姿は、サムライの意思とはかけ離れた潔さのと誠実さの美徳を失くしてしまった。
日本は正論を持って世界に対処すれば、本来なら本望な民族であったはずで、物質的な豊かさの氾濫で、本来失わなくても済んだはずの、心の豊かさを自らゴミのように捨ててしまったのだろうか。