くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

続日本繁盛記

明けて礼和2年、端から日本について前回の続きで、書いていく。

 

日本が景気低迷から逃れられない事実の、原因は何なのか?

様々議論はされるものの、何らか一定の結論を出した試しが無いのはなぜか?

 

もう世代的に責任を逃れ得る者たちが、統制しているからだろう。

 

どうしてそうなったかを議論しても、若い世代には意味も恩恵もないが、その元凶を知っておく必要があると言うことだ。

オールドメディアは仮想の相手を中国や北朝鮮に限定して報道している影響でそちらにばかり目が行きがちであるが、果たしてそれだけだろうか?

 

それを考えるのに、わかりやすい事例がある。

ここでも何度も出している、池袋暴走親子ひき逃げ事件だ。

www.j-cast.com

池袋暴走「逮捕されない」本当の理由とは 弁護士が指摘する「あえてしない」可能性 : J-CASTニュース

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富裕高齢者、特権高齢者層がその潤沢な資金や人脈による影響力を未だ次世代に譲渡すること無く、彼らの都合だけで人生100年時代などと、他の同年代も巻き込んで高齢者の現役化を正当化させてしまった結果、正常な世代交代が頓挫している。

 

しかも、医療関連にまで波及は及び、高齢者に起きがちながん治療の開発を促進するために、本来免疫力が高く、その影響力が小さいはずの若い世代へも警鐘するために、年齢格差を弱める広告や記事が横行している。

 

 一見普通の目で見れば、長寿化日本の話題は歓迎すべき話であり、正当化されて何ら遜色なく受け入れられていい。

 

ただ、多くの情報に抜け落ちているのは、次世代若者への援助や人材の有効的なサポートには、思ったほど投資がされない現状だ。

 

また、自分で稼いだカネを自分優先に使うのは、当然と言えば当然で否定の余地が余りないように見える。

 

ただ、彼らが本来次世代を育てようと市内、または消極的である原因が経済疲弊による損切りを自身に課すのでは無く、未来を担うはずの次世代に貸しているのには、現実の浪費が祟っているのは否めない。

 

道義的には、次に成長する種を植えるはずだったが、その貯金が何らかの原因で枯渇した。

 

そこからの行動は、贅沢になれた自分の維持でしかあり得ないということなんだろう。

それを、やむ無しとするかしないかは自由であるし、多くの国内の情報はその正当化に加担していないだろうか。

 

古い世代に入ってしまった筆者として、本来声高に宣う話ではない筈だが、せめてもの若者忖度の記録をここに残しておきたい。