危険運転の規制に見え隠れする、現実と希望。
筆者の見た未来は、嘘か真か?
それは、それぞれの人の中に確実に「在る」
ささやかでも、決して小さくは無い希望から生まれる現実……。
ついに、クルマ運転中のスマホ操作の厳罰化が実施されそうだが、実行者は規制の強化マニアでしかないことは、もう誰でも知っていることだ。
筆者も運転中にスマホをイジった経歴はあるが、危ないとかヒヤリとしたことは無かったことから、個人的には単に縛りを加えるこの行為には、素直に賛同しかねる立場だ。
おそらくこうした、ながらドライバーには事故る者とそうでない者が事実居て、昔からあった飲酒運転者が未だ減らないことからも明確な事実と解るし、その結果味噌もクソも一緒に取締るしか能の無い規制者側の苦悩の対象療法でしか無いのも仕方無しかも知れない。
【運転中スマホ厳罰化!! あおり運転危険罪追加!!】免許取得時から大きく変わった道交法の要点チェック | 自動車情報誌「ベストカー」
これらの対処療法でしか、規制はかけられ無いのか?
性善説を前提とした日本のルールは誤りだったのだろうか。
筆者が言いたいのは、この類のルールをむしろ心地よく受け入れようとする麻痺した感覚が、むしろこうした事故や犯罪に貢献している温床になってないかということだ。
大昔から続く膳者と偽者の判別がおいそれとできない現実は、規制と言う無茶振りしかできない世の常だと言われ続けてきた。
筆者に言わせれば、自己管理ができる者は淡々とこれまで同様に行動すればよいだけなのに、それさえも干渉の対象にされる、この違和感。
管理社会化する未来を、その目線で見ることができていれば、一見正当化されやすいこうした動きが、実は正当性に欠くという事実を見逃すことはないはずなのに。
記事にあげる判断力差は、情報過多の社会現象犠牲者と恩恵者の差を計るバロメーターだと思う。
何を言っているのか、解る者とそうでない者がいるという差は、前者起因の事故率が高いのか、後者の確信犯事故率が高いのかを考えるスキルの差に等しいと思う。
同時に、この判断力は情報過多の時代に無くてはならないスキルであり、こうした規制の増加はその取得を阻むものでしか無いのではないだろうか。
自分の切磋琢磨を含めて、今後この判断力と選択肢を持てる者が、増えることを願うばかりだ。
若い世代を中心とした情報処理ネイティブが、進化を続ける姿を期待しているし、彼らに学ぶと共に、彼らを導かなくてはならないとも思う。
この目線の元で、少しづつ社会を見守る者が増えて来ていると信じたいし、それこそが情報化社会の恩恵だと思いたい。
これは必ず実現する、これは筆者の見たささやかな未来のビジョンだ。