「信用スコア」依存性癖の高い日本市場に悪魔の囁きか?
縁起をかつぎ神様に将来を丸投げしやすい我々の基質には、信用スコアと言う新概念は耳障り良く響くかもしれない。
ただ、これが今悪名高き中国政府の実行する国民管理のために開発された管理システムだと知れば、その評価に疑問が生じないだろうか。
今後メディアのニュースの間で、このキーワードが多出してくるかも知れない。
日本人には特に「評価」される心地よさは無くてはならないものであり、評価されて生き甲斐を感じるものだけに、むしろ大歓迎なのかも知れない。
それ自体はそれぞれの自由な嗜好の範疇なので、とやかく言うつもりは無いが、評価されるということは縛りを前提とした管理社会の暫定的なものであり、絶対的基準では無い。
よって、これに賛同しない自由も無ければならないはずだが……さて?
今後どうなるか。
この選択肢の有無は、本来の自己責任の対価で得る自由選択への規制になるが、我々はその賛否に関わらずにその選択を自ら放棄するような行動を取り始めているのではないか。
ネットで繋がりを広め続けるグローバル経済社会の中で、繋がるメリットと縛られるデメリットをどう折り合いをつけるかを、きっちり自覚し心しておくべきだろう。