くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

我々は、何のために貯めるか

今進行中のウイルスパニック、これは単に人的災害だけで無く、経済的混乱も含めて意味するパニックが起きたことで、消費行動が減り景気は冷えこんで、頭の中はより安定した備蓄のことばかりに関心が高まる。

 

特に日本ではその傾向は顕著で、我慢で数々の災難を乗り越えてきた経験値が、かえって本来動くべき時にそれをさせなくしている悪循環の方が、むしろ危険かもしれない。

 

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大混乱を回避、台湾の知られざる「マスク事情」 | 中国・台湾 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

台湾は先に、最低限のリスクを負ってから、国内経済つまり内需拡大によって、国民に安心感を得られるようにしたと思われるが、日本政府の判断が誤っていたかどうかと言うより、国民感情が従来から持っている、現実的な安全よりも一時的な安心感を求める意思に、政府は言われるがままに対処したと考えた方が、腑に落ちる。

 

いみじくも、東京都知事が使った安全と安心のリスクのとり方を誤ると、結果がどっちに転ぼうが、振れ幅は桁違いに膨れ上がる事が、わかってきた。

 

この後台湾の結果で、今回の答えがハッキリするだろうが、今回の災難で証明するまでも無く、過去の歴史がすでにその事実を証明してしまっている。

 

安全とは極めて物理的なもので限度があるが、安心は無尽蔵に感情的なものだから、ごまかしがいくらでもできてしまう上に、一時的な安心感のために安易に飛びつきやすい。

 

安全のために貯めるのか、安心のために貯めるのかでは、備蓄品の使い方にも雲泥の差ができるということだ。

 

人は安全を確保するために、現実的に可能な限り備蓄をすれば良いものを、不安感情を焚き付けてそれ以上に安心のために、無謀にリソースを浪費してまでも、安心と言う不確かな精神安定剤を貪ろうとする。

 

それを煽るとメディアを責めるのもいい、安心を逆なでする政府に罵声を唱えるのもいい。

 

ただ、もう一つ。

自分へ心理の行動について、見て見ぬ振りをしているのなら、いつになっても次々と膨れ上がる安心感への要望を満たす事はできないだろう。