くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

究極の合理化システム、深センの近未来産業の姿

WIRED,.pで見た、アジアの最先端技術都市で起きている、深センテクノロジーの進化の姿は、衝撃的でセンセーショナルな内容だった。

 

 ※動画のリンクを逸してしまった、参照今回はリンク無し。

 

 

中国はが新型ウイルス拡散国として、多くのバッシングを受ける今、この話は多くの人に無視されるか後回しにされるだろうが、こういうときこそ頭の遮眼帯を外しモノを考えるべき絶好の機会であるし、防御のみに囚われず攻めも防御なのだと実感できる好機である。

それはさておき、深センとはご存知の通り中共政府の国策の一環で短期間に国家予算を集中投資され作られた、リアル近未来の実験都市である。

 

ここで実践されるのは、多くの中国都市・地方の風景とは想像すらつかない、国家の理想郷構築において、政治以外のありとあらゆる経済発展有効なトライアンドエラーである。

その中では、単なる近未来インフラやプロダクトの開発というだけでなく、中国らしい西洋経済圏ではタブーとされる商的概念そのものの再構築も含まれている。

 

今のところ世界の経済活動は、アメリカがイニシアティブをとって、権利と誘導によって生まれたトレンドに沿って、他国がその流れについていく事が大前提なシステムで整合性をとっていた。

中共政府は、自らの権利の永続性を保証させるために、根本的な仕組みそのものを書き換える、暴挙に出たが、その技術的根拠を確保するために深センを作って、巨大な近未来の展示場として世に知らしめているということなんだろう。

 

日本政府の一部が、アメリカ忖度の安全リスクを負ってまで一定数の中国忖度を表明しているのは、こうした新世代勢力へ、抗えない日本特有の忖度バランス感覚故の判断とも言えるのだ。

もちろん個人的動機で中華に拘らざるを得ない連中いるだろうが、そうまでして忖度させる中共戦略には、日本が本来目指したアジア経済圏の独立という遠大な夢の実現とも絡んでおり、一時的に国民を危険に晒すリスクとのバランスもあってのことだと、筆者は考える。

 

この是非や事実かどうかの是非は触れないが、ここでは日本が汲み取るべき、深センが担う技術的な優位性以前の戦略性について書くと、そもそも中国がプロダクツ製造において叩かれる「パクリ」製品へのこだわりが、尋常ではないという点である。

これは、単なる商的モラルの低さと、経済ルールを無視した私欲的な先進国として不相応な意識として捉えると、大きな落とし穴にハマることになることに気づいた。

 

パクリやコピー商品で中国を責めるなら、日本が行った現実は無視して良いのかという原点に立ち戻らざるを得なくなってしまうし、その思考に生産性は無い。

一方で、その日本がしてきた産業発展の最短コースで培ったノウハウは、深センでさらに進化を遂げているということのようだ。

 

その真髄は、パクリをシェアと置き換えて、世界的に人口現象施策が進む一方で、多様性が更に要求されるであろう金未来市場を制覇するには、投資して得たパテントや最新技術を共有し、競争を加速させながら、縮小される市場に製品を提供していく究極効率化をはかる奥義とも言えるのだ。

 

 日本が高度経済成長期に構築した生産性の効率化と、狭い予算範囲で最大限の経済効果を生むノウハウは、ジャパンブランドとして確立できた実績は、日本の貴重な成果だ。

 

これからの時代新たなフェーズに入る中で、単に製造工程の効率化だけで闘えなくなる経済戦争下で、中国が知財資産の積極的共有による、産業の効率的な‘’使いまわし‘’は、西洋国への余計な忖度を減らし、日本にとって実りの増える独自の立場を示す好機。

 

深センの成功がどこにあったのか、ウイルスよる経済悪影響を、一種の兵器として捉えたリスクによって深センが負った失敗を、日本がどこまで学んで自らの血と肉とできるか、試されていると言う意識と行動が、重要だろう。