くろまのパーソナル・ワークショップ

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緊急事態……名古屋飛ばしの慣例か?愛知県除外のねらい

ついにというか、ようやく政府が正式にウイルス緊急事態宣言を出したが、その内容も相変わらず奥歯にものが挟まったような中途半端さが気持ち悪い。

 

しかも、今更のように出された宣言対象地域に、毎日のように報道される感染者数ではトップ5に入る愛知県が、外されている点でも違和感があることから、話題になっているようだ。

 

当然、愛知県在住の筆者もここ宣言に違和感を感じた一人だが、他人事ではないので筆者なりの分析をしておく。

 

headlines.yahoo.co.jp

「名古屋飛ばし」がトレンドワードに…緊急事態宣言で含まれず(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

 

よく言われる”名古屋とばし”と言われる現象説が最も多そうだが、これはある程度根拠になり得るのは否定しないが、これは本来の狙いではなく、政府が中央集権化をより確かなものにするねらいがあると見ている。

 

www.hokkaido-np.co.jp

地方創生第2期 政策継続で展望開けぬ:北海道新聞 どうしん電子版

 

この中央集権化というのは、政治・財政を集中させる目的が主体で、人口や経済が首都に集中することはむしろ緊急財政には不都合だと感じているようで、以前から実施されていた地方創生の第一期終了の今年3月末で、その問題が深刻化しているらしい。

 

しかし、東京を日本経済のショールームとしている以上、ある程度の人口集中や経済拠点の地位は失えないために、今後もだましだまし創生事業2期を継続し、地方経済コントロールの手段を残しておく必要があるということだ。

 

 

さて、緊急事態宣言に愛知県を抜いた事情の話に戻す。

まず、対象地域の選定は当然東京都を起点に考えれば、次に周辺の経済影響力を考慮した2県、次に経済影響力第2位の大阪府、ここまでは何の異論はないだろう。

 

次候補の愛知県は、関東と関西の間にあって東西インフラの中継基地として位置するが、名古屋とばしと言われる所以で、東京中心のビジネス拠点や娯楽・イベントが西側展開される際にスルーされやすい地域とはいえ、経済支援からして被害甚大の愛知が飛ばされ、次席の兵庫福岡となった。

 

なぜ、このようなどっちつかずの割に手の込んだ宣言内容にせざるを得ないのか?

 

これは多くの識者が推測している通り、既得権益に制約させられた政治的思惑の中で、可能な限り政府の影響力を維持しなければならない、厳しい現状の中での妥協点であるのは間違いない。

 

既得権益については他サイトやYoutubeで語られるので語らないが、影響力については、例えばここ4月に入ってからそれまで比較的政府と足並みを揃えてきた東京都が、政府の対応より先に効果の高い感染者受け入れ施設の増設をし始めたことで、この場に及んでも緊縮財政を堅持する政府も、さすがに緊急事態宣言を出さざるを得なくなったのだろう。

 

また、これほど舵取りが難しくとも愛知をいれてしまうと、補償規模が日本全体で7・8割と膨れ上り、これでは国内全体の大規模な施策にするのと大差なく、全国拡大したら経済効果と地域生産性を考えると、コスパが悪く目的から見ても本末転倒だろう。

 

本来、政府はあわよくば出したくなかった宣言を、ここにきて政治的判断で出さざるを得なくなったという事情や、地方自治の姿勢や対応力を測る観測気球でしかなかったしわけだから、今回の日本全体の5割程度が妥当だとの判断と思われる。

 

帳尻に兵庫が加算されたのは、大阪府の経済圏として分けて考えられ無いのと、感染拡大の関連性が大きかったことを考慮したのだろう、福岡は西の感染源に近いことから加算された、というところだろう。

 

つまり、首都経済に直接影響度が高い2県と、政治的影響の高い関西の1府2県で帳尻として許容ギリギリの5割で妥協したということで、敢えて外した愛知を人柱にして他の地方県に対し、政府忖度への様子見と言ったところか。

 

 

 

さて、筆者が一番言いたいのは、地方自治体の自主独立性を高める動きが関西を起点に起きつつある一方で、地方創生事業で地方統制を模索してきた政府のあざとい側面に、地方自治体は警戒・対策しなければならないということである。

 

その火種になった大阪は、ご存知の通り以前から都構想など地方自治独立意識が高く、東京都を意識しながら影響力を高めつつあるが、政府はこの勢力の中核になる維新の会を、これまでも中央と絶妙なバランスを取りながらも牽制してきた。

 

しかし、地方創生の真の意味からして大阪福岡の影響力はジワジワ高まっていて、このままでは地方自治の独立性や経済成長をコントロールできなくなる驚異を隠せなくなってきている。

 

影響力の大きい東京大阪目線で見れば、愛知県民だけが不満たらたらで終わらせていたら、この宣言でけむに巻こうとする政府の本来の意図を見失うことになる。

 

もっと広い視点で見ると地方と中央のパワーバランスをにらんだ国内自治勢力の分断のねらいが見えてくるし、何度も言うが本来経済効果では無視できない筈の愛知をとばすことで、地方自治の影響度や独立の加速を弱める効果を測ろうとしている。

 

宣言翌日ネット放送の「虎ノ門ニュース」では、横暴で利己的な大村愛知県知事に自治権を与えることに懸念したと皮肉も出たが、ここでも大阪府知事をオンラインで参加させ、政府に依存しない自治判断を紹介したことで、大阪施策の評価が高まっている。

 

政府は、中央集権化の現状を今回の宣言で、裁量を与えた大阪府の維新の会の動きと、与えなかった愛知県特に名古屋市の動きを探る一方、いつでも撤回変更が可能なように、内容を小出し曖昧にしどう転んでも損しない両得を目指しているようだ。

 

今回の緊急事態宣言は、メディアが指摘する不完全さはそもそも意図されたものであって、不完全性によってより縦社会構造の徹底においては、より理想的な結果を目指したものだと筆者は思える。

 

 

政府はこのどさくさに大きな賭けに出たのかもしれない。

与党野党が分裂混乱で解決の見通し遠くなる中で、自民党は安倍政権からスムーズに引き継ぐことも視野に入れていかなければいけない。

 

加えて代々政権が政策障壁となってきた、憲法と財務を司る省庁が脈々と引き継いできた戦略において、不都合な財政支出や法改正は戦争であろうとウイルスであろうと侵されてはならない「絶対領域」であるのだろう。

 

このアンタッチャブルな事実は、どこが絡んでどういった真意があるのかその真実に、我々は近づくことさえできないが、その前提で動く日本経済と国の行方は、少なくとも国民側にあるのでは無いことは、この有事であっても揺らがないと実証されれてしまうのだろうか。

 

それを変えることができるのは、当事者の日本人であり、発言権・行動力を行使できる国民の私たちしかいないが、その発言や行動は有権者だけでなく次世代の子どもたちにも平等にあるのだ。

 

最悪は、残りの経済的影響力小さい他の道府県は、無力感を悟らされ都市圏移住か淘汰の道を歩むか、一揆を起こすかの3択を迫られることになりかねない 。

 

愛知県や道府県住民にとっては、たかが1か月とはいえされど1か月であるし、今回の対象地域でもどう対処されいつ実質恩恵が受けられるか、絵に描いた餅の現況である。

 

今のところどの自治体も、ここで安易に政府に慣れあわない慎重さは必要で、同時にこの不均衡は今まで以上に声高に自治体やネットにあげていかなければならない。

 

この緊急事態宣言の内容を早急に平等でまともなものにするためにも、安全を餌にされた一方的なトレードに、言われるがまま加担するのだけは避けたいものだ。