5G普及への方針発表する都知事
緊急と称したウイルス対策の発表時に、その見通しも定かでないタイミングで、どさくさに紛れて同時発表された通信インフラ普及の具体的指針について触れておく。
この事実は、一見自然に見えるが極めて異質であり、緊急性を伴わないにもかかわらず、相当具体的に練り込まれた現実的なアイデア提起である点では、むしろこちらの方がメインではなかった?と疑わざるを得ない。
筆者が、5Gインフラ普及化が急速に進む背景を歓迎しづらいのは、別の回で説明しているが、遅かれ早かれ普及するのは仕方なしとしても、その速度が現実の対応に待った無しで優先されることに驚異を感じているからである。
この発表では、都民へのメリットを示してはいるようだが、都側の要求も抜け目なく主張している点で、都民が検討議論をする余地を与えずに正当化してしまっているのがわかる。
しかもこの施策は、都側の優位性を確実なものにする意図と、その後ろに絡む政府の中央集権化をさらに堅固する意図が見え隠れしているのがわかる、つまり地方自治体にとっても難題を追加される行為であり、無視できない施策である。
国内の、主にTVメディアにより東京ブランドの質=日本の評価基準と刷り込まれている認識がベースになって、今後さらに資本や高度産業の中央集権化が正当化されていくことを意味しており、地方の産業は中央の施策に合わせた裾野として、選択肢を持たされないままに実質標準化されていく。
百歩譲って、少なくとも東京都民には嬉しい悲鳴に見えなくはないが、それも短期間のことで、5G普及によってより管理効果は高められ、その仕組みでより評価は数値化見える化され、むしろ自由度は狭まり住みにくい方向へ変わっていくのだから、油断できない。
それに順応していく選択肢だけが与えられ、それに抗う選択肢はひたすら無視され続ける。
日本人の「空気を読む」という慣習は、管理社会の強化側にとって実に有能で便利なものだ。
他国のように個人主義による抵抗が無いばかりか、利己主義と誤解しいみ嫌う気質は彼らにとって心強いものでしかないのだから。
悪く言えば、体よく丸め込まれて、それに疑問を感じても従順に縦社会を変えようとしない日本人は、既に自身の将来の行く末を放棄しているに等しい存在である。
これからも彼らは、日本国民に適度にアメを差し出しつつ、自分たちの都合をそれ以上に認めさせる行動は辞めないだろう。
個人主義と利己主義を混同する人々へ、エールを。
個人の意見を中心に行動しない限り、未来は自分から遠ざかるばかりである。
転換のチャンスは、今からでもリスクを負った損切りして、自己による思考や行動を取れる者にだけあるとしか、申し上げようが無い。