くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

感染の流行はブランド化されようとしている。商魂飽くなき「コロナ・ウイルス」戦略

我々は、今極めて稀有な現象に立ち会っている。

 

以前から、漫然としなかった人間の行動のひとつに「ブランド化」への戦略構想についてのきっかけと事例を、素人なりに追っかけていたのだが、灯台下暗しとはこのことなのかもしれない。

 

日本が類まれな世界で今後起こるだろうビジネス・娯楽などの、トレンド実験国だろうことは何度か触れているが、日本において医療に関してもそれは変わらないと考える。

 

 高齢化社会へ突き進む世界の課題について、日本は年金などの社会福祉制度を古くから実践し、リタイア後の治安や社会の安定を実証してきた。

 

その結果を見ながら、アメリカなどでも公的年金制度の検討や導入が進んできたことを思えば、アメリカファーストだった日米関係からして画期的な現象であるし、高齢化社会が深刻になった中国では、日本式の介護医療が積極的に導入された例をみても、日本の社会制度の優秀さを認められた事例である。

 

また、医療技術は日本ブランドの一つとして、発展途上国を中心に海外展開しながら、多くの初期医療発展に貢献していたり、医療機器がアメリカ製一辺倒の中で、他国に比べ大きく検討していると言っていい。

 

 

 

さて、一通り日本を持ち上げた一方で、その国内医療業界が今回のコロナウイルスへの対応に疑問を持っている諸氏も少なくないと思う。

 

日本には、医師会という医療関連団体が存在し、戦後日本医療のあらゆる采配をコントロールしてきたのはご周知の通りだが、今回の感染者対策では、医者が陽性と判断しても病床数制限を理由に、人によっては自宅隔離を促すように意見しているそうだ。

 

東京都が、状況によっては都内のホテルを隔離用に借り切るという準備もあるようだが、国が外出禁止を命令せず要請で済ませている以上、都も命令を出さない姿勢を誇示するにとどまっている。

 

togetter.com

『Bloomberg通信がなぜ日本で感染爆発しないのか分からず、困っていたので、上から目線で教えようという妄想』のまとめ - Togetter

 

TVメディアを中心にTV局はネットでも統計事実に不誠意な「煽り記事」を垂れ流し、半洗脳的な行動を続け、医師会は患者と認めても受け入れを拒否し、国は他国の様な外出禁止命令を出さない。

 

この3者の行動の事実から「未知だから仕方ない」という言い訳が聞こえてきたり、国の社会保障の稚拙さも併せて後に糾弾されるべき問題だが、今回の主旨はそこではなく、表題の通り医療関連商品のブランド化の問題である。

 

化学的事実を明かすと、過剰に反応する論者がわくのと同じで、我々も情報扇動で極めて精神から不健康にさせられているだけでも不愉快なのに、3者が何かと矛盾する言動への合理的な理由を考えると、今回の説明を聞くにつれ「コロナウイルス」のブランド化が進行している、という疑念が深まる筆者の心的葛藤をどうすればいいのか?

 

この考えに至ったきっかけは、詳しくは此方をご覧いただきたいが、

【DHC】2020/4/3(金) 武田邦彦×須田慎一郎×居島一平【虎ノ門ニュース】

 

上にあげた統計などの事実と、3者が決して言わない優秀な感染防止成績を、過少どころか他国の状況に忖度してか、台湾の様に声高に上げないでいるだけでなく、実際はインフルエンザの方が実害が大きいにもかかわらず、むしろコロナウイルスを特別視し、凶悪性を異様に高めていることが見透かされるのだ。

 

ご出演の武田邦彦先生は、NHKや医師会へのヤジは相変わらずとしても、氏の視点は論理的で冷徹で、我々の感情や情動でぶれやすい判断とは一線を画している点で、客観性が極めて高い。

 

 

筆者は以前から医療ビジネスへの影響と社会問題化への話題に、興味を持っていたのでその目線で考えると、製薬業界と医師会のなれ合いで指摘される、特定薬剤の偏った処方問題などと同じように、この機会に乗じてウイルスにも価値を高めようとしていないだろうか?

 

武田氏の説明では、「インフルエンザ流行」という恒例文句に対しコロナウイルスには「感染爆発」という過激な表現が定着しつつあると言うが、数字から見れば圧倒的にインフルエンザの方が脅威なのに、コロナウイルスの方が殺傷能力が高いかのような、表現や言い回しが繰り返し報道されているのは、不自然なのだ。

 

これらの事実から、今後コロナウイルスをブランド化し、その戦略に合わせて検査機器やや検査キット、何れ完成するであろう治療薬も含めた巨大な共益ビジネスが成立することになる。

 

こう考えた方が、むしろこれまでの3者の行動には整合性が取れてくるのではないかと言うのが筆者の結論で、この段階ではあくまで筆者の仮説でしかないが、ウイルス感染などという深刻な事象であっても、それを商品化しブランド化させる動きは無くならないし、「商魂」はむしろ清々しささえおぼえる、と皮肉っておこう。

 

向こうがそうであるならば、我々は賢明な行動に徹しながら、生き延びることでそれらを駆逐できる証明にしなければならないし、そのモチベーションを高める意味であえて諸氏を煽っておく。

 

その境地であれば、このブランド化の流れに巻き込まれながらも、リアルタイムで体験しているという目線は、窮地の中においてさえせめての気分転換になるのだろうか。