くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

「情報が届かない。」そう感じてしまう社会に生きる

最近急激に「偏向報道」への疑いや憤る声が囁かれるようになった、囁くだけで無く行動でも香港や台湾市民の行動からもあからさまになっている。

 

なぜ今更になって、これまでも陰謀説として一笑にふされたトンデモが、大真面目に問題化されているのか?

 

もし偏向報道が事実であったのなら、もう既にその対策が完了しているからこそ、おおっぴらに口に出せるようになったのだろう。

 

その是非が民主的に論議され、正当に結論された事実であれば、異議を唱える必要は無く、出し抜かれたからこそ、納得いかないだけなのだ。

 

しかし既にその常識を作りあげるのに、莫大な投資がされ殆ど利害関係は完成している以上、たとえその結果が市民に不利益があろうと、決して再考されることは無いし、それを合法的に不正と証明できる者はいない。

 

そう、確信犯……犯とさえ言えない程緻密に正当化された上で、世に出回るのだから我々に手立ては無くなっている。

 

個人の自由を主張すればするほど、権利を行使しようとすればするほど、それは、無意味な行為として報道され、直接の当人以外はその欺瞞を知ることも無く、違和感さえ感じさせてくれはしないのだ。

 

今ならまだ、この違和感を感じられるだろう?

 

もうすぐだ、まもなくこの違和感さえも無く、ただただ心地よい安心感と満たされた感覚だけに囲まれる日常に身を置く社会が、待っている。

 

さあ、何も恐れす、怯えなくてもイイよ。

 

程よい湯加減のお風呂に、我が身をゆっくり身体を慣らしながら、足のつま先から浸っていけばいいだけだ、どっぷり浸かるのにそう時間はかからない。

 

使った後は、至高の幸福感と身体身体温まる高揚感が、生きていることへの喜びと一緒に全てを満たし、いつまでもそのままで居たくなるから。

 

日本人なら、こう例えれば良くわかるだろう?

 

でも、そこに居続ければ茹でガエルになる知恵も理解しているはずで、この比喩にあり得る現実に浸る危険性も、同時に理解できるはずで、大人ならわざわざ進んでゆでガエルになりたい人は居ない筈。

 

今、大真面目に世界規模の強制的な統一目標が、いくつか政府サイトにも掲げられ、国独自の方針や主義主張に関係無く、達成ノルマとばかにならない予算配分が余儀なくされている。

 

もっともどこより金をつぎ込んだ筈の、京都議定書環境目標さえ未達成とののしられたまま、日本政府は次から次へと未消化のままに、押し付けられると条件反射的に反応してしまうのはナゼだ。

 

サイトの一文を端から端まで読んでも、全く違和感が無いしある人には意味判らんかもしれないが、これは単に無理ゲーを強要されているにすぎないことだけは覚えておいたほうがいい。

 

これは明らかな世界統一と言う名の、強制であり民主的社会が一般化している日本にとって、不利益でしか無いのだから。

 

AI監理社会、統一ルールの普及、一方的なVR情報の押し着せ……

民主性や個人の自由を、共通した敵を適時に用意することで、足並みを揃えて消極化する行動を習慣化させるあらゆる設備や技術が、わざわざ自腹を切らされて準備させられるということ。

 

ここまで言えば、ある芸能人が広める都市伝説が、単なる娯楽やシャレで終わらないことはお解りいただけるのではないだろうか。

 

あらゆる事実を歴史から学んだ大人たちが実証できなくとも、状況証拠だけで導いていることは、多くの新世代の子どもにも、違和感を直感させながら言いようのない不安につながっている。

 

それらの不安の正体を、形が掴めるまでそれぞれが考え抜かなければ、不安はことごとく利用され、不安さえも消し去られてしまうのは目に見えている。

 

人間は理性を獲得しそれは人の弱点を補う武器でもあるが、本来動物的な五感も持っている。

 

ある時、理性で考え抜くべきだという要求に条件反射で反応するのもいいかもしれないが、それに違和感を感じられたなら、五感の声にも素直に耳を傾けていいはずだ。

 

人間は理性こそ正義で野生は悪だと促される機会は今後も増えて来るだろうが、人の脳は両方の機能を持っているのに、言われるまま原始の能力を廃止すれば、その者はロボットとなってしまう。

 

これからの社会は、ロボット人間こそが称賛され、本来の人間は流行から外れたかのように、愚か者として評価されるルールが常識化される時代に入っているかのような違和感をあちこちで感じる。

 

その社会の抵抗さえも、十年もすれば過去の戯言となっているかもしれないが、今人間として生まれた以上、せめて死ぬまで人間で在りたいと願う自由を、正当化できる世界はまだまだアリではないだろうか。