くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

個人情報漏洩の意識

ウイルスパニックで生命の維持意識を再認識し、多くの人にとって有事以来の貴重な体験となった一方で、この後に起きる大きな変化への危機意識も変えられてしまった。

 

特に大きな変化は身近なところで、自撮り習慣の意識で、ネットのコアユーザー達が自撮りかたは日々変化しているが、インスタで標準化されたドヤ自撮りの文化が、ストレス発散の手段として日常化した今でも、日本と海外の意識の相違が見られるのだ。

 

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顔を出さない「自撮り」が日本の若者に広がる訳 | 「脱ゆとり世代」のリアル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

 

ほんの4、5年前では顔出し自撮りはドヤするテッパンとして、海外のそれに近づいたのに、最近は部分隠しが主流らしいが、単なる流行以前に意識すべきことに誤解が無ければ良いのだが。

 

個人情報保護で重要なのは、顔の部分隠しよりロケーションや個人情報特定のヒントになる映り込みの徹底廃止であるはずで、自撮りトレンドを追いすぎた結果、自粛ムードが薄れているとすれば、本末転倒でしか無い。

 

 5G環境が今後国策レベルで普及するのが補償されている現在、動画やVRなどの情報量の桁違いな増加を前に、個人情報の保持はより困難となるだけで無く、個人の医療情報さえも商品化され、ほぼ個人レベルでの防止は困難となる。

 

むしろ積極的に開示がせざるを得なくなり、社会への存在証明によって正当化される時代へと大きく変わっていく。

 

 

個人情報を頑なに護るという意識は形骸化される一方で、バックヤードで情報はAIによって自動トレードされ、デジタル化された個人情報がアバターとして、多くのシーンで本人の代理となっていく。

 

一見して個人情報はオープンにされていないように見えるが、その実は個人情報の開示提供でしか、行動範囲を極端に制限される時代の到来である。

 

その姿は、中国の都市部に見られるような監視社会のような危険視されるような甘いものでなく、もはや不可避な選択肢でしか無くなるのだ。

 

これを受け入れるか否かは重要で無く、海外へ逃れようとチベットの山奥へ逃げようと、遅かれ早かれその波に飲み込まれる事は、天変地異が起きない限り不可避な現実だ。

 

この流れ自体は犯罪性も陰謀性も無いが、今までの常識では常軌を逸していることであり、既に些細な部分隠しが、どこまで幸を奏すか怪しいものだ。

 

問題にすべきは、新しい社会環境に求められる新しい価値観と常識が、果たして我々に恩恵をもたらすのか、個人の存在価値がどのように扱われていくかにかかっている。

 

ネガティブに捉えれば、AIはその事実だけを記録しその意識を中心に環境整備を促すだろうし、ポジティブさを維持しプラスな環境化を、どこまで未来に反映させられるかは、我々の意識次第ということだ。