くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

男女関係無い、無差別ワーキング事情の転換

AKB48まゆゆさんがある限界を感じたことを理由に芸能界を引退する発表があったことや、ここ数年間で若手女性芸能人の爆弾発言や地雷行動が、3面ニュースを賑わす時代とは何を意味するのかを取り上げる。

 

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小島瑠璃子に「男性ファン離れ」の予兆? うっかり「地雷」踏む発言が増えて...: J-CAST ニュース

 

この現象の走りは、「別に……」で一世を風靡した某大物女優辺りから、保守芸能界に一石を投じる課題として始まったと言える。

 

今でさえ芸能界の女性を性的リソースとして食い物にする兆候は消えず、一時では子どもさえ犠牲者を有無に至った程だが、このような極論に及ばなくとも、国内の女性の働く場には男性の「職場聖域」意識が偏見と職場環境の独占化と、女性参入の危機意識から性暴力に走る言い訳を正当化させてきた。

 

しかし、多くの諸氏が認識している通り、世界の人材活用の意識は性別で分けるものでなく、能力差であることは言わずもがなである。

 

しかし性差別を仕事環境に持ち込むことで、多くの無能者の利権が担保され、女性の働く場をより複雑化させてきたが、芸能界で起きている意識改革は、その矛盾を浮き彫りにしていると言う事だ。

 

有能な女性ワーカーにとって、無意識にしろ意図的にしろ当たり前の職能評価の壁は、フツーにウザイのであり、女性芸能人の表明行動は日常の行動が、特別視されることのほうが本来異常であるにも関わらず、その異常な世界に住む住人には不都合な事情なのだろう。

 

今後、FDGsなど政府が推進する目標達成には、5Gインフラを最大限活用する究極の合理的職場環境整備が求められる。

 

目標達成には、男女職能差別や人材リソースの偏重意識は、百害あって一理無しであり、旧態依然の職場意識が淘汰されて何とか達成できる程、シビアでタイトな目標であると言う緊張感の有無が、今後の日本立ち位置を決定していく時代である。

 

未だ女性の職能偏見を持ち続けることが、もしも自分が出来ない理由にされているのなら、どれだけ男性の職能向上心の足を引っ張っているか、よく考えた方が良いのでは無いだろうか。

 

女性を食い物にする文化はむしろ国家存続さえも左右する課題として意識される時代であり、世代交代を待たずして、変革を強制させられる前に、自主的意識改革をしておいた方が、男性陣には結果的に恩恵を得る賢明な行動と言えるだろう。

 

女性を単に美の象徴や性対象としてしか捉えられないのはあまりに不幸だと思う、男の不器用さで片付けられている間は、それは残念な男の限界を自ら認めてしまっているのでは無いか?

 

日本男性は余りにも孤独な立場に自分で追い込んでしまったのかもしれないが、女性が共感や協調で孤独を克服したように、むしろ男性こそが意識改革はを始めるべきでしょ?

 

そう女性からの無意識の叱咤激励の声が、聞こえて来ないだろうか?