くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

スピリチュアルが注目される意味

スピリチュアルな話題は、筆者世代のイメージにくらべて最近のトレンドはより多様化しているのには驚くが、その当時よりもより無視できないものに、役割を変えてきているようだ。

 

日本人の多くは、神社やお寺に詣でることで精神の洗浄をするのが、最も多いスピリチュアルとの関りだろうが、あなたはそれ以外にどの様な関心をお持ちか?

 

私達のスピリチュアルを娯楽と捉えるなら、それを支えるメディアはTVからWWWに移ろいその最も大きな変化は、発信される情報の信頼性と可能性のウエイトでなはいだろうか。

 

過去の実績で強大な影響力を得たTVネットワーク・広告企業の網は、スピリチュアルの意味を発信者側の都合に置き換えて拡散してきた。

 

日本では全人口の多くが一方向のTVだけで生活情報を得る習慣が強く、少しずつ増えてきた双方向ネット情報と併用する層より、偏重リスクが大きいことが問題になっているが、それゆえにストレス発散の癒しは多様化したのだろう。

 

既存メディアがオールドメディアと区別されるのは、情報に公平性が小さくなっている事への棲み分けで、その層が日本の多くの資金を保有し、運用している図式は日本の将来性も含めて、危うさを残す功罪を生んでいるのではないか。

 

その功罪への危機感が、多くの陰謀論者達を生み、スピリチュアル派も心の立て直しに時間を割くようになった、そしてそのどちらもこれまでの様な単なる現実逃避にとどまらない、一種の暗号としてのコミュニケーションツールに利用しているのだろう。

 

 

注目されるのは「やりすぎナンとか」のような都市伝説番組や、Youtubeで増えている謎解きゲームによる「騙されないための脳トレ」にチャレンジする動きである。

 

 

 

都市伝説で不安を理屈でねじ伏せるか、悩みやストレスをスピリチュアルに癒されるか、現実だけに真摯に向き合うかは、選択肢があるしいつでも乗り換えて良い自由を与えられている。

 

ただ、社会の仕組みがVR化をすでに始めている以上、心の置き場に戸惑っていても始まらないし、過去の現実が反省されないまま仮想現実が始まってしまった以上、今さら自分に嘘はついても時間の無駄、だということは知っておくべきだろう。

 

 

もう一つ大事なのは、都市伝説や陰謀論・スピリチュアルはどう解釈するかで、その人の評価が問われ、社会に不安の種を撒くと思うか、現実として飲み込んで前向きな解釈できるかも自由だが隠せないから、そこを誤魔化す悪知恵も多くが徒労になること。

 

物質的にも事実証明が出来ないことで、大きく方向性は二分され、例え正しい方向へ向かおうとしても、多くの者がやがて誤り間違った方向に取り込まれていく姿は日常茶飯事である。

 

それでもつい最近まで胡散臭がられていたスピリチュアルの意識が、きゅうに存在感を増しているのは、多くの人の潜在意識に前向きな気持ちを持ちたいという性善説意識の賜物かもしれません。

 

それぞれの主張は、同朋によって微妙にズレて解釈され、少しづつ行動の乖離につながっていく一方で、根拠を見失いながらスピリチュアルという共通意識だけが独り歩きしていく。

 

日本で起きている精神的な関心ごとは、より現実的な指向性の世界の意識にどれ程影響力を持っていくのか。