くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

日本人のビジネス下手が、常識になってしまった事情

日本人が海外のビジネスマンと比べて、国際性に欠けるとか交渉力の劣るという評価が、国内では一般化している傾向をよく見聞きさせられるが、果たして本当だろうかと、首をかしげたくなることが時々ある。

 

実際に自分に置き換えても、そうだと思うことは過去に何度もあったが、もしかしたら単なる刷り込みなのではないかと考えるようになると、巨大なペテンに晒されている危機感も起きてくるのだ。

 

もちろん個人によっては優秀な人材は多くいるし、ビジネスで成功する日本人は何人も称賛されているが、交渉力や国際性に劣等感を持つ人はまだまだ多いように見えてしまうのはなぜだろうか?

 

日本は、先進国に仲間入りして久しいが、国際感覚はアジア・中東・アフリカなどの発展途上国の方が、優れているように見えるのは、おそらく海外に身を置く価値観の差なのかもしれない。

 

例えば言語だと、日本では多くの人が世界標準語の英語でさえ、教わっているにも関わらず、特別な言葉と捉えやすいが、先進国の多くは搾取された歴史が長い分、生活に欠かせない第二言語として、教わらなくとも覚えてきた。

 

ものの視野にしても、従来識字率が高く知的であるはずの日本人が、日本語圏に拘り過ぎた結果、世界市場の動向に疎くなってしまったし、自分の足で稼がなかった分タイムリーな世界情勢に追いつけなくなった。

 

この伝統が、企業間で受け継がれ戦後数十年経った今、固定化されてしまった感は否めず、それがひいては苦手意識へつながり、企業も英語学力を生かせず、海外進出も他国に代行させ、結果いい様にされた挙句に、唯一の商材の技術や設備を海外に出してしまった。

 

ここまでくると、ごく一部の国際企業に成長できた法人以外は、個人レベルの再構築からやり直さないと、追いつくことさえできなくなるだろうことは、目に見えている。

 

何より悲惨なのは、敗戦国の引け目意識から脱出できないまま、国際意識を凍結する方向へもっていってしまったツケは大きいし、教育も国際社会に対応できる人材育成も力を入れてこられなかったこと。

 

海外経験の無い親は、その子を海外へ旅させることも避け、わが身の世話をさせる教育をしてきたが、それさえ高度成長期の産業改革の波で、国内の経済成長にその糧をとられてしまった。

 

この流れを見ても、戦後に起きた日本の復興は、日本のためにではなく、世界のためにあったにもかかわらず、それにだれも疑問を感じることなく、国や企業に盲目に従い続けてしまった結果なのかもしれない。

 

日本人が国際化に対応していくには、発展途上国がそうであったように、身の回りに国際状況を置いて、ガチにその問題に取り組んだり、なにより避けてきたリスクを取っていかなくてはならない。

 

井戸の中で怯えて暮らしてきた蛙にとって、井戸の外の世界はある意味仮想現実でしかないのだし、その世界で成長した親を含む大人たちにある意味歯向かうくらいの意識がないと、もう難しいかもしれない。

 

国際問題を身近なものにするために、外人雇用をや入植者を許容していかなければならないし、かつて移民で他国へ船出していった日本人の様に、海外にリスクを背負って生活の拠点を移すくらいのバイタリティを、持てるだろうか?

 

人によっては海外留学程度の経験でも、優秀な人材に成れる人も居るだろうが、多くの人は、最初は損してでも、可能性を計算に入れた上で海外進出をしないと、国内市場の飽和状態や、日本の窮状から対処できる人は少ないのではないだろうか。

 

日本は今でも、とても素晴らしい国だと筆者は信じているし、日本に一生生きることを全否定してるつもりは無いが、明らかに日本人は世界の輪の中に入るどころか、見えない我部の外に置かれているのも事実だと思っている。

 

この差を知ることは、国の施策に依存せずに個人レベルのリスク取りと負担を追って、初めて出来ることだし、来るものを受け入れるか、自分が出ていかなければ実感できない現実だと考えている。