くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

化学・医学進歩と、経済成長の相乗効果が示すもの

ここ一週間の間に、中共起源ウイルスの抗体ワクチンの開発に、明るい話題が次々に現れてきたことは幸いなことだが、世界各国が仕込んでいた様々な開発に目途が立ち地あって、これに慌てたのか中共も追いつけと言わんばかりに、ワクチンの開発状況を広報してきた。

 

しかし話題は、急遽発表されたアメリカの開発で、突然有効なワクチン候補を見つけたという話題は、多くの反トランプ派にとっては寝耳に水だったに違いない。

 

一時はどうなるかと、誰もが不安を隠しきれなかったものの、いずれは対抗策は開発され普及していくと言うことであり、人類は何度もこうして窮地を乗り越えてきたという事実を、我々は誇りに思うべきだろう。

 

目覚ましいほどの科学技術・医療技術の進化は、スパコンそしてAIの進化とともに、これまで人の思考速度をけた違いに超えた計算・演算が可能になったことで、時間短縮を可能にした。

 

環境や保険の領域が、ひと昔にくらべて安定し安全に保障されるようになったことで、経済も安定をほぼ予測できるようになったことは大きい。

 

これによって、経済予測や、景気の見通しが数値上で予測したものに近くできて、合理的な成長計画が実現しやすくなったことで、あらゆる人間の生活は自動化され、人以外の代行で成り立ちやすくなる。

 

ウイルスにしても人口抑制にしても、計画の範囲でコントロールされることで、むしろ悪意があれば武器にさえ転用できる世界にもうなったと言っていい。

 

経済が計画通りにいくようになれば、その治安に対するルール管理も、よりシビアに強制的にされる可能性は高いし、安全を考えれば市民もそれに賛同する者が多くなっていくのだろう。

 

そして本来の「自由」の概念は、個人にとって文字通りパーソナリティの自由を意味するものから、社会機能の自由を確保するものへとよりシフトしていくだろう。

 

これの意味するものは、良くとれば安全で平和な社会となるし、悪くとれば一定の自由を犠牲にした社会貢献ということになるが、総じて自由行動への柔軟性は制限されることが大前提というのが、共通の約束事になっていくだろう。

 

今の我々の様に、四六時中監視されている社会に拒否反応を示す自由は、もうその常識の中には含まれなくなるし、逆をとれば国と言う概念はむしろ無用の長物になるかもしれない。

 

気が付けば、特別騙されたという意識は無いし、便利で安全に暮らせる世の中という実感の方が強いかもしれない世界とは、どういうものなのかは筆者にとって、理解しがたい世界である。

 

このような進化の速さからして、あと2,30年程度で世界は激変するのは、決してSFなどの絵空事でなく現実になることだろうが、テクノロジーの真価に上手く人間の倫理観や道徳観が、順応されていくのかどうか、むしろそちらの方が原因で、想定外の事が起きなければいいが、と思っている。

 

我々が望んできた技術進歩と経済成長は、互いが補完し合って人類が住みやすい世界に変わっていこうとするが、太古日本の祖先が想像していたような、自然と人類が協調する社会とは異なっているだけに、それが良いことなのかどうか、その意味で「自然への畏れ」を失ってはならないだろう。