くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

「環境」「民主化」で金を生んだ錬金術師たちの世界

日本の高度成長ピークを過ぎ斜陽化し出したころから始まった「環境問題」は、当時ほとんどの日本人は、生産施設の複合工業化によって起きた当然の帰結だと信じて疑わなかった。

 

公害で少なからず施設近隣の住民が健康被害を受け、企業側は訴訟され多額の賠償を支払ったが、その経験で日本人の多くが工業化の伴う環境破壊に、実害以上のトラウマを追うことになった。

 

その後、海外から「環境問題」が世界的な問題として、日本にも解決への参加を求められてきたこともあって、日本政府は莫大な費用を惜しまず支払ってきた……

 

ここまで聞くと、至極当たり前の流れに聞こえるだろうが、本当に当たり前だったのだろうか?

 

TVでは筆者が子どもの頃からグリーンキャンペーンとか、これまでにも海洋汚染対策とか、エコ活動・環境保護・クリーンエネルギー、直接環境でなくとも温暖化や教育格差の影響で、アフリカの動物保護とか、恵まれない子どもに……までも。

 

これらの、自然に対しては「環境」人に対しては「民主化」のキーワードがマスメディアのキャンペーンに闊歩し、破壊や差別などの一部の企業・団体のエゴが、世界全体の問題にすり替えられてきたという事実に、多くの人は無関心だったのではないか?

 

振り返ると、大量のキャンペーン情報で、漫然と人の良心に訴えかけて、一部が起こした問題を全体の課題だとすり替える行為が、世界的規模で起き、成功を収めたことで、特定のキーワードを使えばそれが全体責任に出来る、この既成事実はビジネス化されこれまでに莫大な利益を生み出してきたということだ。

 

これが、関わった人全体にインセンティブを生むビジネスモデルなら、何ら問題ないむしろ素晴らしい発明だが現実はそうではないし、その仕組みを知った者は真面目に働くことを止めてしまうだろう。

 

資本社会が確立した後、資本集団の効率化は加速し、マスメディアが広報ために買収され、市民はその虜にされた社会が、一方でその恩恵を最大に利用する独裁国家中国を生み出し、脅威になっている皮肉な現実。

 

環境改善、民主化と理想を声高に掲げながら、世界はそれとは逆の方向へ向かう中で、新たに掲げられた目標は「人口削減!」

 

ついに世界の目標は、人の反映さえ邪魔になったと結論付けたようだ。

 

これは戦争などによる暴力的な手段で起きるのではない、これまでの環境問題の様に”平和裏に呼びかけ”られ、日本のコロナ対策でもあったように、あくまで市民間の「要請」による「協力」で達成させられる、サイレント・バイオレンス以外に他ならないということ。

 

社会人である以上、「世界的共通スローガン」の生産性に参加できない者は、市民によって社会的に抹殺され、人間的な生活から外されてくだろう。

 

信じられない人も居るかもしれない、信じたくない人もひるかもしれない、しかし人が今まで通り盲目で活かされている限り、このままでは起きる悲劇であり、多くの人がそれさえ気づかず一生を終えるかもしれない。

 

その方が幸せだと思うなら、それでもいい。

それは各々の自由だから。