くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

報道メディアとて逃れられない掟

新しい情報通信網の時代にあって、プロフェッショナルであってもアマチュアでも、情報の価値はよりシビアに判定される時代を意味する。

 

興味と説得力が最大の価値観になり、書く話す伝える事に長けて有利なはずのプロフェッショナルとて,、速報性や真実味においてアマチュアに出し抜かれても不思議では無い時代である。

 

これまでの報道では、プロしかその権限が無いかのような錯覚が、本来のプロの報道姿勢を歪めてしまったために、視聴・読者側の知る権利に寄り添う姿勢が、いつの間にかだまし操作する方向へプロのテクニックが応用されるケースが問題視されている。

 

報道メディアがITによって大容量高速化され、しかも誰でもそこそこのクオリティで情報発信できる時代において、それでも反省の無いままプロはあぐらを書き続けるのか。

 

現状、大手動きは何もなかったかのように取り繕いながら、一部から単に三面記事的なテキトーなゴシップ記事をでっち上げ報道する姿勢が、そろそろオールドメディアとして悪評につながる時期期もなっているようだ。

 

高齢者層の一部に、旧態依然の報道期間を一定数信奉。信頼している分、その視聴率に頼る報道づくりが後を断たないが、本来啓蒙してこそプロ報道マンではないのか?

 

情報の真実味や信頼度も、下手な大手より評価されるケースも増えている印象を持つことは無いだろうか?

 

むしろ能動的情報発信が生活習慣の一部とった今、正しい情報の選別に苦慮することも多くなった。

 

その解決には、発信者の実体験は信憑性を測るのに大きく役立つ、その意味でも情報発信に不慣れなまま情報の海に身を投げるのは自殺行為なのはご理解いただけるだろう。

 

様々な立場の人が、その立場に立って報道する行為は、より緊急時には有用であったり、表現はたどたどしくともプロのそれより説得力を感じるのはなぜなのか?

 

 

猛反省を促すと同時に、一般者の真実の探求と興味を高める良い機会として、積極的に情報発信者として参加してほしい。

 

情報発信の最大の問題は、批判する側に立って物事をネガティブに誘導してしまうのに加担する事と言うこと、この大きな罪を自覚している者が余りにも多すぎると言う点だ。

 

発信者・受信者そのどちらの立場にも当たり前に立てる時代なのだ、受け身のままその立場だけの無責任さにぬくぬくと生きられる時代でなく、突然情報加害者となることもあり得る時代。

 

それは子どもなら社会参加の窓口として、高齢者でも社会貢献や生きがいつながる糧に、年齢や性別職種に関係なく多種多様な情報を理解できる社会を、実現するためにも情報発信は自己表現やアウトプットの経験の場として、積極的に行動してほしいのだ。