くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

科学系の情報がカネと関連をもつ世界

石油の悪臭以上にカネの匂いが強くなる……匂いの種類が異なっても、ファクトとフェイクの信頼性が担保されなくなってくると、そういう比喩的な比較も通ってしまう世の中が成立してしまう。

 

茨城県沖に大油田級のガス油田が見つかったニュースを知ったが、この信用性は低いと見る科学者もいるし、このニュースを知ってエネルギー系の企業の金が動くこともあり得る。

 

統計数と言うのは、従来基礎数学として学ぶ、事実の確実性を量る学術であるはずが、そこにカネが絡んでいくと、利益ありきで統計数字が操作されるという、あり得ないことが起きうる魔力を持っている。

 

統計はAIの最も得意とするところであるが、過度にAIが危険視されたり敵視される背景には、上に言う人間の危うい操作癖が多分にAIの信頼性を貶めているのではないか?

 

人工知能への印象が、アイザックアシモフの小説や2001年宇宙の旅からの影響大なのかもしれないが、それよりもっと怖いのは人間の猜疑心であり、万物に対する欺瞞であったなら、AIはまだ救世主になりうる可能性はある。

 

どんな優秀なパートナーであっても、無条件に頼り切るのも危険だろうが、初めから疑ってかかるのなら、初めから造らなければ良かったはずだ。

 

ところで物書きというものは、書く対象にもよるとしても、 ファクトとフェイクを意識して書いているはずで、ファクトだけだと面白みが無いとわかると、気を引くフェイクを混ぜることはおうおうにしてある。

 

そのさじ加減には責任感が筆頭でも、特にカネが絡めば責任感が薄れフェイクをファクトらしく書いている者もいる。

 

彼らの言い訳は、カネが沢山欲しいからと素直に言えばまだカワイイが、さももっともらしくファクトだけでは誰も興味を持ってくれないなどと、良心を麻痺させる行動を平気でするから面倒くさい。

 

 科学というファクトで語られるべき情報が、カネの影響で完全フェイクとまで言わないにしても、時として事実無根の現象が事実かのように書かれるのは、多くの場合限定された人間の優位性を高める結果起きるのだ。

 

その限定された悪意の集団に、気づかないうちに巻き込まれているのに、気づかない無知の罪も巻き込んで、今日もどこかでフェイクの種は撒かれ続けている。

 

もしかしたら、それをAIは肥やしにしながら、誤った結果判断をしてしまうことになったら、それこそ本末転倒というものだ。

 

映画「マイノリティ・リポート」では、主人公は言った。

「誰でも、嘘をつく」と。

しかしAIが放ったマイノリティな誤った判断を、主人公はAIを束縛された立場から、自由な存在へ開放させ、自らの無罪を証明して見せた。

 

その束縛とは、正しいことを普通にしようとする者たちの行動の束縛であり、太古から止まない権力を持った人間の愚かな勘違いが起こす悲劇でしかない。