定額報酬を保証する制度について
筆者は、長い間自分より上の世代から引き継ぐようにサラリーマンと言う雇用制度を当たり前のように引き継ぎ、社会の一部として貢献・機能してきた一人である。
サラリーマンは、日本に限らず世界のどこにでもある雇用形態であり、それ自体を今更どうこう言うのはどうなのかとも思うが、起業家にとってサラリーマンの多くが消費者であり、顧客として存在してきたのは否めない。
顧客になるのは問題ないが、その分過度な要求をし過ぎたのも事実で、日本では「お客様は神様です」と言うような、謙譲的比喩も過剰に働いた結果、クレーマーとかモンスターカスタマを助長させてしまった。
一方経営者側の目線で見れば、本気でそんな不公平な事を真顔で信じている者は居ないし、日本はサービス向上・顧客満足度に拘り過ぎるため、腰の低さが満足につながるかのような偏ったサービスを平気でしてきた。
そういう態度は、結局お客にも伝わるのであり、客側も本気で真に受けるひとは流石に殆どいなくなったが、未だへりくだりをされるのが満足度を高めると思っている人もいるらしい。
このお約束のやり取りで、どれほどの時間と労力と経費が飛んだのか、その詳細については誰も語らないし、情けないのは経営陣でさえ会議で指摘や改善をしないほど、落ちぶれた結果が、後進国にも追い越される今である。
グローバル時代にあって、もはや日本のおもてなしはローカルや、ごく一部の高級サービスでしか評価されなくなった。
それはなぜなんだろう?ちょっと考えてみた。
おざなりの広告に莫大な経費をかけるのが習慣になって、結論の出ない会議を延々としきたりの様に続ける、そのローテーションに誰も改善を入れられなくなった。
それって、結局誰もがリスクを取らず、関係の無いことには口出しさえしない、なぜ?
上司に怒られるかた、評価下げられるやん!、しょせんインセンティブつかないし……
そもそも、そういう種類の安定を望んでいたのは被雇用者側で、末端も中間管理職もリスクを経営者に丸投げ、その分上に決められた報酬に意見せずに、無言でしたがう方を選ぶ。
これの原因は”経営者意識を持て”と言うハナシなんだろうけど、部下も上司に”それお前が言うなよ!”とツッコミしてなし崩しだし経営者も雇われ経営者で、重荷にしか思ってない。
筆者は別に”会社を良くしていこうよ!”とかいう気はさらさらない、あまりに自主的に経営者的な体験や学びをする機会が、国内では本当に無いからだ。
陰謀論者の口を借りれば、元々GHQの国内政策に、そのようなプログラムが盛り込まれており、政府はそれに沿った政策した結果今のそれがある、という見方もあるだろうし、結局日本人が思っている程裕福でもないのに、中間富裕層などという日本独自のポジションに満足し、消費を続けたと言われるかもしれない。
本来納得いかなかった処遇がいくつもあったはずなのに、リスクを取らなかった日本人は、見当違いの文句を繰り返しながら、結局政策を認めてしまった結果でしかない。
このての話をすると、少なからずの者が「もっと前の世代がしっかりしていてくれたら、こんなことに成らなかった!」と責任転嫁し出すのだ。
それぞれの胸に手を当てて考えて欲しい、おそらく多くの者が思い当たるであろう、自身の境遇を高める行動を、リスクを避けて要求だけしていたことに。
富裕層はこの現実は都合がよく、中間層は上の通りで、貧困層は文句を言える機会さえ与えられない、この点だけは幸いなことに日本限定では無いことくらいだが、富裕層のエリアに立ち入らせないように、経営から目を逸らさせ、それはあなた方には必要のないスキルかのような境遇を一般化されるのだ。
そろそろ経営者意識で物事を考え、ビジネスの基本を学ばねば、これからの時代生き残れない!
今更か?なぜ今更なんだ?それって金さえ出せば身に付くんか?
んなわけないだろう?
経営者の成るヤツは、黙ってても自分からリスクを取って、そいう行動をするわけで、周りを見てれば、思い当たるヤツは居るだろう?
あいつスゲエと思った時点で、終わっているのに、自分もそうなれると本気でおもっていれば、何とかなるかもしれないと思うのは、完全に上で書いたような思い込みに感染して気づかないだけ。
出来ない人は、努力するのは良いことには違いないだろうが、結果を出せていない時点で、何も身になっていない現実にぶち当たるなら、中間層にしがみつくためだけにカネを稼ぐしかないのかもしれない。
筆者は事実を書いたに過ぎないが、誹謗中傷だと誤解するようなら、自分の状況さえ客観視できない以上、何言っても説得力がない。
”結果も出してない、てめえに言われる筋合いないわ!”
それを言われれば、何も言えなくなるが、それを言った時点で自分自身を束縛して、同時に自分の行動に自分で制限を掛けているようなもので、できないことに手を出さない、人の成功を褒めない邪魔しない、この当たり前の成功の最低ラインさえ、改善できなくなる。
成功したいひとって、基本足の引っ張り合いはしないし、成功者を本気で尊敬してないだろうか、中には蹴落とそうとする者も居るかもしれないが、自分から成功しないような無駄な手間暇は使わないし、非合理的な行動はとらないだろう。
やっぱり単純に、無駄、だからに他ならない。
このリスクと闘える最も簡単な方法は、現実に気づいて(これは単に貯蓄額だけで量れない)自分で杭を打つことをせず、何者の助言も求めない環境から、どれほど這い上がれるかを無言実行するしかないのだから。
結果は、最後にだけ他人から評価されるものだけが、真実である。