くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

一国首相の突然の辞任が教えてくれるもの

多くの国民がこの発表に驚いたはずだが、本人も相当悩んだに違いないことは、一部のアンチ以外多くの国民が理解できているだろう。

 

日本にとって、総理大臣の辞任判断は大きな影響力を持つものだが、それよりもパートナーシップを組む国にとっては更に厄介なことに違いない。

 

実際に名実共に様々な責任分担をしてきたアメリカや、私欲的日本友好関係を深めようとする中国、それぞれ別々の意味で蜜月関係にあった両国にとって、前者はピンチであり後者はチャンスなのかもしれない。

 

そもそも安倍政権は一度解散し、リベンジとはいえ長期政権を維持してきた首相の手腕は、それなりに評価していい結果を、少なからず残した上での自任なので、大きな批判は無い。

 

平成時代を中心に、過酷な国内の災害や近隣国との問題、経済課題や野良化した野党マスコミの執拗な無意味な口撃をかわしながらの政権運営は、至難の技だったろう。

 

結果や成果については、今後の首相系統後に具体的に批判や評価はあるにしても、文字通り首相は身を削って政策の矢面に立って、できることをやった結果、悔しい思いもあるだろうが、治療に集中してもらいたいものだ。

 

このタイミングで辞任した意図は様々考えられるにしても、政権として基本的な筋道は取れており、これ以上想定外の自体が起きないことを願いたいが、彼は残された者にも行動を促す意図もあったのだろう。

 

当たらず触らずで過ごしてきた政治家には、ある意味奮起を期待し、しっかり職務を全うしている議員には、ある意味チャンスやさらなる主体性を促したと言える。

 

敵対してきたものや、足をひっぱって来たものには、本性を晒す隙を与えたのかも知れないし、国民に対しては、長不在の窮地によって自発的な自衛行動を促す結果につながるかも知れない。

 

それが意図したものか、単なる偶然かは本人にも誰にも知り得ないことだろうが、結果としてそれぞれの立場を、ここで大きく見直すきっかけにはなるのは間違いない。

 

この現実を災難や他人事だと割り切ってしまうのか、いずれ我が身に降りかかる大事として、反面教師として身を律するかで、大きく試されることにもなるだろう。

 

人は、元来無責任な生き物だとときに触れ絶望することがあるが、その点で首相が変わろうが継続されようが、それぞれの人生にとってどうでも良いと思うのが普通だろう。

 

それは、誰かがやるべきことをやってくれているから、呑気なことを言えるのであり、誰であろうとその役割が居なくなったら、困るのは自分だとその時点で大慌てするのも常だ。

 

安倍総理大事の突然の自任表明は、行動することの重さと行動しないと何も変わらないという現実を、改めて我々に考えさせられる意味で、タイミングが絶妙な気がしてならない。