くろまのパーソナル・ワークショップ

生活・仕事への分析力向上を目指し、あえて辛辣に物言います。

ある企業方針の混乱が、他人事たりえない根拠

責務を逃れてこそ言えることがあるということか。

 

グループ統合の象徴、ゴーン氏を追い詰めた立役者が役を辞した後に語るホンネなのかと思うと、企業内のチカラ関係とは厄介なものだと思う。

 

www.sankei.com

ルノーとの分離論に警戒感 日産・西川前社長 - 産経ニュース

 

このパワーバランスは、この会社に限らず他企業や政界にも、いや個人の関係にも存在する万国共通の問題であるのは、身にしみて知っているはずで、末端であるほど公的影響は小さいにしても、人脈の間に存在する課題。

 

そのチカラをどう活かすか殺すか無視するかで、競争原理が働き本来平等である人の間に優劣関係が生じていく。

 

 

日産は、日の丸を掲げて純日本メーカーとして生きるべきか、純血を捨ててグローバルメーカーの道を協調していくのか?

 

すでに彼らは、倒産の危機に西洋の白騎士に救われ、その時点で運命を委ねた経緯があるが、サムライスピリッツを貫くなら、恥ずべき選択に自刃すべきだったと思えば、一度失った命を持ってすれば武士でなく騎士として世界のアンバランスな市場に、向かうための岐路になるべきではなかったか。

 

すでに妥協点を超えていたにもかかわらず、政治介入を許した企業はどうした末路を迎えるのか?中国国内企業と同じなのかそうでははないのか?

 

日本政府が介入したのは、日産を救いたかったのでは無く、国の柱自動車産業から外資の影響力を排除したかったからであり、結果恩義と利潤の間で苦しむことになった。

 

このジレンマの中で、企業であれ個人であれ、真っ当な判断をしながら向上することがどれだけ困難かを、この現実に向き合える個人が何人いるか。

 

その積み重ねで結果は出るが、躊躇する者が多ければ多いほど結果発表は遅れていく中で、覚悟と忠誠刃はその課題に晒される者全てに向けられる。

 

これこそ誰も逃れられない、無慈悲にも平等に働く力学を我々は、目の当たりにしている。

 

 

中国の囁きが巧みすぎる、気づきはあるか

中国の外交戦略のあれこれ

自国内の情報統制はデフォで、ボットによる情報搾取、攻撃は一級品。

 

某軍事関係者が起業する通信会社インフラを、押し売りし、海外の通信網まで牛耳ろうと

 

著名人へのハニトラ

かつて日本も散々利用された先生戦法

 

 

加えて、記事のような他国の外交利益を妨害する

 

wedge.ismedia.jp

台湾が国交を失う「本当の原因」とは? WEDGE Infinity(ウェッジ)

 

 驚異と見たとき、この波状攻撃と執念は深すぎる。

 

www.sankei.com

中国の王外相「歴史と台湾、約束守れ」 関係改善へ日本に要求 - 産経ニュース

 

 

 日本人にこの胆力はあるだろうか、自信が無いな。

 

それでも日本は、地政学的や歴史経緯からでも避けて通れないと思うと、いかに古きに失した憲法の束縛が、どれほどのものかも知っておかなければならないだろう。

 

平和が一番、戦争はすべきでは無い。

 

確かに正しいし、そうであるべきなのは誰でも知っている。

それは日本人でなくとも、戦争をしている国の民衆でも同じであるが、彼らと私らで大きな違いがあることを自覚している者が、圧倒的に少ない事実は何を意味するのだろうか。

 

それは行動力の差だと言えないか、思うは易し行うは難しの言葉通り、平和は祈るだけで実現しないのは歴史が証明している以上、戦後幸いにしてアメリカの核抑止力護られた結果行動に責任を追わずに済んだ我々は、どう行動すべきだったのか?

 

その決断と選択は、それを享受できたものには行動で現す機会を避ける傾向がある、その一方でこれからも生き続ける者たちには、同じ恩恵は無い。

戦争の被害者たちが拒否する気持ちは確かに汲むべきかもしれないが、それが今の判断を誤らせる現況になっていもいる。

 

平和を自らの行動で生み出すには、自衛力は不可欠だ。

 

いじめから回避できないひとが注目されたのも、自衛力の欠如からの危機感があったに違いないのだ。

 

個人の自殺が示したおもすぎる課題は、国の自決に繋がるモデルなのだ。

 

あなたは、追い詰められつつあるサバイバルの驚異に、正面から立ち向かい、行動できているだろうか?

狭まる商圏の仮想化

 

世界的にも人口増加による商圏への戦略が、効果薄となりつつあるこれからの市場創造をどう迎えるかを、企業はどう考えているのか。

 

www.nikkei.com

コンビニ、縮む商圏 店舗当たり人口3000人未満が9割: 日本経済新聞

 

 過去の日本において政治介入による護送船団方式は、効果を果たした時代に対し、情報網がこれだけ発達し、多くの情報が晒される時代に、共通の意識を武器に戦える時代は過ぎ去ろうとしているのだろう。

 

国益と企業利益の相関力は、すでに弱められたこの事実は、社会主義的利権や恩恵の徹底的に弱めようとする、個人利益追求派の施策が成功しつつあることを意味する。

 

企業もその立場においては集団である以上、そのメリットを活かすづらく、かつデメリットが問題化するようになっている。

 

これは、単純に個人起業家の優位性を意味するものでは無く、むしろ特定の資産家の利潤追求の優位性でしか無い。

 

甘んじて生きる道に、どれだけの可能性があるかは未知数ではあるが、彼らとの共存をどう設計していくか、すでにそのフェーズに達したことを表している。

 

単なるサムライスピリッツでは生きづらい時代が来た、日本政府や企業は貫くか媚びへつらうかの、極論以外の柔軟な行動力を試されようとしている。

 

この流れを無視して、法人個人とも成功の可能性は無いに等しい。

 

現実に沿って生きるとは、そういうことだ。

できない者は、容赦無く淘汰される、過去から永劫に続く自然摂理に、我々は生かされているということなのだろう。 

 

その意味において物理的にも精神的にも、

生きるも死ぬも、平等に自由であり、すでに私達は選択している。

割れないガラスの期待と結末

 ガラスにヒビは入ったが、割れ砕けていない。

この結果は、中の人を守ったのであり、防弾能力は保証されたのだ。

 

日本で報道された真意は失敗の協調であったが、実際には見た目が一見シロウトが作ったコンセプトカーにみえても、受注は殺到したと聞く。

 

www3.nhk.or.jp

 

防弾仕様の車 窓ガラスに鉄球投げたら…割れた テスラ株価下落 | NHKニュース

 

 日本人的感覚では、決して実現しないだろうこの商品が示した、テスラの成功の秘訣は、ここでも効果を発揮したという事実を見失ってはならないだろう。

生涯被雇用者で終える人には不要だろうが、そこから脱却を目指す者には、この斬新な製品が示す、荒削りでも的を射ている真の意味を理解するのには、わかりやすいニュースだったのではないだろうか。

 

ダイソンでも、バーミキュラでも、アイリスでも、体裁にこだわらず機能性にこだわり抜く意思が、多くの注目と称賛を生んでいる背景を、咀嚼することは決して時間の無駄にはならないだろう。

 

評価につながるこだわりとは、何か?

それは、誰も目をつけなかった優位性を発見し、

その目線を信じ続けてブレない行動力、

加えて起きた失敗を認め、修正する謙虚さ。

 

なんとシンプルで、明確な真実なんだ。

我々は、常にピュアな子どもでなければならないだろう。

 

去るものと継ぐもの

いち政治家の死をもって、このテーマを語るのは本望ではないが、筆者の好きな近代史の戦中戦後の政治に関わった王道的なキャラクターの死においては、良い機会だろうと思い、書く。

 

go2senkyo.com

中曽根 康弘(なかそね やすひろ)元首相が101歳で死去|経歴を振り返る | 日本最大の選挙・政治情報サイトの選挙ドットコム

 

戦中彼は満州上がりのいち帰還兵として日本に戻り、日本復興の全てを見てきた生き字引であった一人で、一時期風見鶏と揶揄された彼の基質は、裏を返せば中庸道に徹したバランス重視派だったのだろう。

 

その一歩引いた目線と行動によって、世界の中での日本のあるべきビジョンを具現化させ、筋道を作った。

多くの政治家や識者が口を揃える根拠がそこにある。

 

ざっくり言えば、国営を民営化させ、経済面で国の国粋化を排除しながらも、靖国参拝の政治家としての愛国者でもあったのだ。

 

彼は、上に記事では5本の指に入る長期政権ホルダーでもあるということが、長期政権を成し遂げる安定性が、どれほどに国益につながるかを証明したことになる。

 

安倍政権が、そのトップにのし上がった理由が、他の歴代首相と比べ安倍総理の実力だけではないにしろ、方向性が正しい……むしろまだ道半ばであるにしても、長期政権の持つ血脈を正当に受け継いでいるのではないか。

 

道半ばとは、憲法9条改正の完成を待たずしてという意味だが、歴史に残すに恥じないレコードホルダーとなるには、消費税問題を後回しにしてでも貫徹すべき使命を果たして成せること。

 

この課題に、未だ多くの国民が特定の国外の政治介入によって、惑わされ道を踏み誤っている姿を、中曽根氏はどう思いながら去って行ったのか。

 

その意味で、過去のアーカイブをこの機に紐解くのも良いかもしれない。

 

死とは残されたものには、時として残酷なものだ。

 

未来を語る声を絶たれた結果残された者には、いかようにも加工できてしまうし、活かすこともできる。

 

今を、そして未来を引き継ぐ者へ、一政治家の死がどう活きるか期待したいものだ。

リスクをどう選ぶか

中国と欧米による通信システムの二分化が起きている今、選択を迫られる。

ユーザーの住む政府がどのシステムを採用するかにかかっているが、ユーザーも端末選びで、選択を強いられる。

 

wired.jp

Androidスマートフォンの一部に「最初から」潜む脆弱性、新たに146件も見つかる|WIRED.jp

 

中国のそれは言うまでもなく、欧米の主力OSのandroidも記事のような脆弱性があるという。

 

つまり、ソフトウェアには抜け穴は避けられない。

それを利用する政府やメーカー側の倫理次第ということだろう。

 

それでも政府が独走する中国製システムより、欧米製はまだマシかもしれない。

 

 政府は、国民の安全と企業の利潤追求の間で動く。

その背景の上で、我々は現実的選択を迫られる。

 

どの道でも結果発表は、少し遅れてしか出てこないし、選択の統計でしか結果は出せない以上、後出しジャンケンの選択肢は絶たれている。

 

そのジャッジをする上で、自分の安全をどのポジションで取るか、それの優劣はその人にしか下せない。

かと言って、臆することはない。

 

行動した後でも、誤りは修正すればよいのだ。

 

まず行動なくしては結果は出ないし、一方躊躇した分結果は先送りされても、より厄介な結果への貢献にしかならないわけで、未来の進度を遅らすだけ。 

 

人は成功するときはするし、失敗するときはどの道避けられない。

躊躇するかしないかで、その進度が変わるだけ。

 

リスクを選ぶとは、単にプレッシャーを強いられると警戒する人が多いが、その実はその進度をコントロールする事に絞ってはどうだろうか。

そう考えれば、リスクのとり方が少しは理解できるんじゃないだろうか。

 

防衛力の強化と企業利益のバランスと確執

丁度良い話題を解りやすく解説してくださっていたので、紹介させてもらいながら、表題について書くことにする。

 

www.youtube.com

https://www.youtube.com/watch?v=6KuApaT9YU0

 

子どもの世界で善悪を判断するだけでは、実際の現実は極めて複雑で大人の事情が様々絡んでいる以上、日本の競争力を示す盾になる防衛力の補填は、安倍政権が掲げる通りに、結構緊急課題になっているのは、ご承知のとおりだ。

 

 国産技術を独自に進化させるのは、日本人のお家芸であるし、この成功実績が、多くの先進国の驚異と妨害にあった現実からもはっきりしている。

 

日本人の優位性をここ30年の間に、私達は様々な方法でウヤムヤにされ、遠ざけられてきたが、それを数字が証明している事実もはっきりしている。

 

この事実が結実する、合理的な選択肢は「成功の原点」に帰ることではないか。

 

戦前前までは、経済的政治的に世界の頂点に君臨するまでになった原点に、日本人は戦後の汚点を強調され自虐教育を受けた。

その仕掛けたとされる戦争でさえも、真意は侵略で無く列強からの開放運動だったことからも、方法論は賛否両論あっても、趣旨は決して恥ずべきことでは無かった。

 

この日本人の先達が描いたグローバルな戦略は、正論であり今主力の正論とは乖離していることを思えば、私達は遅きに失したたものの、今からでもその伝統を引き継いで、いつか成就する日を迎えるまで生き続ける価値はあるだろう。

 

優秀さ故の奢りと傲慢な行動が、一時的に叩かれたことへの反省は必要にしても、全てを彼らの思惑通りに肯定する義務は全くないのだから。

 

その静かな初志貫徹の行動に、誇りと使命感を持つことは、自衛の拡張をすることとは相反しないはずだ。

現に、自衛隊の行動が示している通り、日本の防衛力はその判断力共に世界の最高水準あるだろうし、これは自他共に奢りでも傲慢でもない。

 

掛かる火の粉は、自力で払わねば、いくら正論を通そうとしても、活きることはないのだから、統制された自衛ノウハウは、平和の継続にむしろ不可欠で広めるべき行動の理想像と言えないだろうか。

 

私達は、過ちを行動で示している。

 

ドイツのように賠償金で償っている、それはドイツが侵略した先進国に償ったように、統括した周辺国への償いもし続けたのだ。

 

戦争の勝ち組からすれば、更にむしり取ろうとする気はこれからも変わらないだろうが、たかられる者がそこから抜け出すには、自分を守るスキルを磨くしかないのだ。

 

その精神的な平等意識は、世界最長を誇る実績で支持されてきた、天皇のもとに暮らすものは等しく平等であり、その平等の象徴が天皇制である事実から来ていることを、再評価すべきだ。

 

その事実を最も驚異し、戦争という事実に追い込まれ、その罪をドイツと日本に追わせ、それを理由に天皇制を排除しようとする戦術こそが、第二次世界大戦の真の目的だったのではないか。

 

私達は、歴史解釈をフィルターの無い目線で、それぞれが学び直さなければならないだろうが、その根幹のアイデンティティや自律を失う危険から、早く逃げなければならない。

 

その遂行ににどれだけ自己資金をつぎ込もうが、他国にあれこれ言われる筋合いはなかろう。

そして日本人として生きるには、国内にも他国のカネで動く同胞が多いことへも自衛しなけれならないだろう。

 

周りの全てが同胞でなければ行動できないのは、国際社会にそぐわない。

同胞とはより一層協調し、そうでない者とは一定の距離をとって共存する、これは簡単ではないが、バランスの取れた日本人には本来できたことなのだ。

 

もう時代遅れかもしれないが、間もなく忠臣蔵の季節になる。

 

大石蔵之介の無念に反旗を翻すその真意には、仇討ちという一見問題視されかねない要素が見え隠れするが、仇討ちとは当時の江戸幕府が独裁では無く、血筋を公平に認める緩和策であったことを知れば、今でも多くの人が共感できるだろう。

 

サムライスピリッツだけが、日本人の美学ではないのだ。

 

謙虚に自然を神として崇め活かそうとする精神は、天皇の寛大さによって保護されてきた日本人の特性だった。

 

未だ国内に、天皇制の不平等を指摘する声はあとを絶たないが、千年以上続いた事実は、天皇の影響力が国民にとって単なる権力強制だったかを疑問視させるには十分な根拠にならないだろうか。

 

権力の執行者は、時には幕府であり、政府だったが、彼らでさえその天皇の存在を何一つ侵そうとしてこなかったのはなぜなのか。

 

この答えは、外部から入ってきた最新の理論であっても、科学であっても解明されるものではない、むしろそれらは私達から適切な判断力に逆行する役割しか持ってこなかったのではないか。

 

その疑問は合理的に考えても解る通り、他国にとってその正しい答えが驚異でしか無く、無益なものでしかないことからすれば当たり前のこと。

それをそのままありがたがる姿に、不自然さがあって、日本人の本質を考えるとき混乱をもたらす事になった。

 

では、私達はどうすべきだろう?

 

決して筆者は宗教信者でないし、むしろ積極的に排除する者だが、そんな無機質な人間であっても、日本人に生まれた以上その意味と結論にこだわらずに、世界を渡りあえる自信が持てないのだ。

 

人は本来からして独立しているはずだが、しかし独立を証明するために自分の立ち位置を証明しなければ、独立性は認めてもらえない。

その現実がある以上、天皇制の養護の元で生きる日本人の可能性と、存在意義を問い続け無ければならないと、考える。